第831話 我感じる、ゆえに我在り
~ 阿部孝雄さんと珈琲たいむ ~
「竹やぶ」の阿部孝雄さんから、新刊の写真集が送られてきた。
久高将也という写真家が「竹やぶ」の庭と阿部さんを撮った写真集だった。
「竹やぶ」は一年ほどお邪魔していないから、お礼に伺わなければと思っていたところ、続いて「写真集出版記念 ~ あべたかお・久高将也二人展」のご案内を頂いた。会場は柏の中村順二美術館だった。あの美術館は小さいけれど、絵を観た後に美味しい珈琲が飲めるから好きだった。もちろん珈琲を飲める美術館というのはよくあるが、自動販売機だったり、器がプラスティックだったりで、せっかく素晴らしい絵を鑑賞したあとに飲む珈琲としては興覚めと思うことがある。その点、中村順二美術館の珈琲は私には満足のいくものであった。
阿部さんと初めてお会いしたのは、もう20年以上も昔のことである。江戸ソバリエ認定事業を始めるにあたって小田原の笠川様(江戸ソバリエ講師)のご紹介で、蕎麦研究家の高瀬礼文先生に講演をお願いに行ったとき、せっかくだから箱根の「竹やぶ」に行こうということになって、笠川様と高瀬先生と、そのときは私の息子も同行していたが、「竹やぶ」で阿部さんにお会いした。
それから、偶々だったがまた息子と一緒に「神田まつや」の小高登志様をお訪ねして江戸ソバリエ認定事業のご協力を仰ぎに行ったところ、高瀬先生がいらっしゃるなら応援するよとおっしゃって、「有楽町更科」の藤村様、「かんだやぶ」の堀田様、「巴町砂場」の萩原様をご紹介いただき、江戸ソバリエ認定事業が始まったのが2003年だった。
そんなことを思い出しながら、阿部さんの作品群の前に立った。
いずれも独創的な作品ばかりであるから、見ている者も刺激を受けてしまい、描けもしないのに「帰ったら何か絵でも描こうか」と思いたくなるほどだ。
世に、「我思う、ゆえに我在り」(デカルト)と、「我感じる、ゆえに我在り」(ステファン・W・ポージェス)という言葉があるが、阿部さんは後者の人だろう。そういえばピカソの作品20万以上存在するといわれるなか、阿部さんは8万点は観たという。ただし阿部さんという人は一作一作を食入るように見詰める人ではない。ピカソ作品に身を置くようにして感得したうえで、多くの独創的な作品を生み出してきたのだ。
こう書くと阿部さんは芸術家かと思われるだろうが、そうではない。あくまで蕎麦打ち職人である。以前に、阿部さんの落書帳をいただいたことがあるが、ノートの初めから終わりまで「そばを打つ」「そばを打つ」と書いてある。たとえば、こうだ・・・。
そばを打つ 自分を打つと いい聞かせ
そばを打つ 打っているつもり 打たれている
そばを打つ やればやるほど わからない
そばを打つ 自分を造る そばの道
要するに、自分との問答である。これぞ禅である。蕎麦道である。
とにかく、数ある作品を見入っているうちに、「一東庵」の吉川さんのご家族や、「打墨庵加瀬」の加瀬さんのご家族や、石臼のミツカさんもお見えになったので、珈琲を飲もうということになって、阿部さんを囲んで〝阿部談義〟を聴いた。
話によると、阿部さんは若いころ、作家の小島政二郎に出会って、「絵も字も上手く書くことはない。自分の絵、自分の字というのを大切にしなさい」と言われたという。そして、そのように生きて「阿部孝雄の世界」を創り上げた人だ。 それゆえに、聞く者にとって今日は実に刺激的で贅沢な時間だった。
〔江戸ソバリエ ほし☆ひかる〕