健康ニュース11月15日号 飲食店の盛り塩論 

     

 あるボランティア会の打ち合わせがあり、会場の駅前にある飲食店に集まりました。

 開店直後の店の入り口には盛り塩がありました。テーブルに着席、オーダーをしてから盛り塩が話題となりました。

 仲間の一人Aさんは「お清めの盛り塩で、厄払いや商売繁盛を願って入り口前に盛り塩を置いている」と解釈しています。

 Bさんは「今日一日、お客さんがいっぱい来てくれますように!」という願いが込められているのではないですか?と言っています。

 博学のCさんの話に、参加者の多くが納得しました。 

 そのCさんは何と語ったかと言うと「清めの塩はパラパラっと撒くだけで良いのです。葬儀などに列席した後、戻った自宅玄関で撒く清めの塩や、大相撲の世界で撒く塩を思い出してみればわかるでしょう。飲食店などが開店前に入り口に置く盛り塩は、お客さんがいっぱい来てください!という願いを込めているのですよ」

 やがてテーブルに届いたビールなどで乾杯した後、Cさんの話はさらに熱がこもってきました。

「平安時代の貴族は何に乗って外出していたと思う?」何名かの仲間が「馬車じゃないかな?」と言ったところCさんは「馬車でなく牛車だよ」と真顔で言っていました。

 以下はCさんが得々と話してくれた内容です。

 平安時代に高貴な方が、気になる貴婦人を夜訪ねる時は牛車を使っていました。高貴な方を迎えたい貴婦人は一人とは限りません。数多の貴婦人の中から、「我を訪ねてきて欲しい!」という願いを込めて盛り塩を自宅玄関前に置いたのです。

 そうすると高貴な方を乗せた牛は、盛り塩の前で止まります。牛の立場から考えると「おや?あの玄関前に塩があるぞ。草ばっかり食べているので最近は塩分不足だ。ちょうど良いな、ゆっくりと塩を舐めさせてもらおうかな」と歩みを徐々に緩めながら盛り塩のある場で立ち止まってしまうのです。

 高貴な方は、「おや、この家の前で牛車が止まるとは神の思し召しかな。では今宵はこの家で過ごすとしよう」と牛車から降りて貴婦人を訪ねるのです。

 この伝えは、2200年以上前の秦の始皇帝由来という説もあります。始皇帝の訪問を待つ女官は3000人以上いたと言われています。そんな環境の中、ある女官が家の前に盛り塩を置いていると、始皇帝を乗せた牛車が計算通りその女官の自宅玄関前で止まり、始皇帝が牛車から降り、訪ねた、という話が言い伝えとして残っています。

 牛が止まって始皇帝が来る、と考えた女官の先見の明は素晴らしいと思いませんか。

 以来、客寄せの目的として、の入り口に盛り塩を置く習慣が広まったのです、というのがCさんの解説でした。

 何にでも興味津々というDさんが「なぜ牛は塩を舐めたがるのかな?」と質問をしました。一同の考えは、哺乳類だから塩が無くては生きていけないからでは?ということでまとまり始めていましたが、

 Cさんの説明は、皆を改めて納得させるものでした。

「牛は草を食べて生きているのは知っているでしょう。草は人間世界で言うと、野菜と言えますよね。つまり牛はかなりの野菜を毎日食べているのです。ご存じのように野菜にはカリウムという成分がたくさん含まれています。このカリウムはナトリウムを体外に排出する作用があります。

 牛の排尿や糞便時には大量のナトリウムが排出されてしまいます。その結果、牛はナトリウム不足状態となってしまうのですね。従って食塩を欲しがっているのですよ。塩がない時は、飼い主を舐めたり牛同志で体を舐めあったりとかしているそうですよ。これは塩を欲しいよ!というサインであるらしいですよ」

 乾杯後のビールがあまり減らないほどCさんの話に皆が耳を傾けていました。テーブルに届いた野菜に食卓塩を振る人や塩タレの焼き鳥を注文する人がいました。