第863話 武蔵野の水車

      2023/12/21  

~ 武蔵、蕎麦産業群論 ~

  大沢の里(三鷹市)の水車を見に行きたいのですが、西武多摩川線の多摩駅からが近いでしょうか」と、親しくさせていただいている深大寺(地区)の蕎麦店「門前」の浅田さんに伺ってみた。
 すると「とんでもない、遠いよ。店から車で直ぐだから、うちまで来れば連れてってやる」ということになった。

 そんなわけで、先ず浅田さんの「門前」に顔を出すことにした。
 その前に、いつも見慣れている「深大寺水車館」に立ち寄って、あらためて水車館をスマホで撮った。ここの水車小屋は精米用の搗臼5個と製粉用の挽臼が2個が動いている。それに浅田さんのお店は、その昔は深大寺(寺)所有の水車が回っていた所である。大きさは「深大寺水車館」よりやや大きかったみたいだ。
 お店から車に乗せてもらった。行こうとしている大沢の里は、今でこそ行政上、三鷹市大沢になっているが、調布市深大寺地区とは隣接している所だ。
 車を走らせながら浅田さんは、「野川沿い行こうか」とか、「あそこの樹木が茂っている所が國分寺崖線だよ」とか説明してくれる。だからなぜ武蔵野辺りに水車があったかが想像できる。
  野川の源は国分寺市の大池、そこから流れ出て二子玉川で多摩川に合流する。
  国分寺崖線というのは、多摩川が10万年以上をかけて武蔵野台地を削り取ってできた段丘のことであるこの野川と国分寺崖線があるため、武蔵野は樹木と湧水などが多く残り、生き物にとっても重要な生息空間になっている。
 浮岳山深大寺はその崖線の上にあるから、「浮岳山」というのだろうかと思ったりする。『蕎麦全書』にある深大寺蕎麦は、武蔵野段丘の産のようであるから、地質上美味しい蕎麦なのだろう。
 こういうようなことが、地元の方とご一緒の場合、何となくわかったような気になるところが、嬉しい。
 さて、目指す水車館は、野川沿いにあった。峯岸家という江戸時代から続く水車経営農家だという。
 搗臼14個、挽臼2個が稼働する水車である。山本おさむ氏が『そばもん』20巻で絵にされているが、巨大な水車に圧倒される。そして感心したのが金輪である。漏斗の中の蕎麦の実が空になると成る仕掛けだという。津村記久子の名作『水車小屋のネネ』では鳥のヨウムがそれを知らせる役割を担っていたが、この金輪を見るまでは津村のユーモアかと思っていたが、津村にも、江戸人にも脱帽する次第である。そういうこともふくめて、まさに精米・製粉工場である。この現場感覚がここに来たいと思った理由であった。
  というのは、たいていの人は石臼や水車を情緒的な農村風景として見ているが、ちょっと違うだろうというのが私の見方である。
 それは、留学僧円爾南宋から持ち帰った「水磨の図」を見れば分かる。円爾の成果は、蕎麦史上欠かしてはならない出来事として有名であるが、「磨」とは臼のこと、「水」とは水車のこと。しかも図には臼が4個も描いてあった。つまりは「水磨の図」とは製粉工場の設計図であったと見るべきである。
 おそらく南宋では、この「水磨」の搗臼が殻を壊す臼、それを挽臼で製粉したはずである。なぜならそもそも水車も石臼も西洋小麦文明の産物である。それがアジアそして日本に伝わってきた。
 しかし米の国・日本に渡来して江戸時代になると、水車搗臼が粒食の精米用として力を発揮していった。
 しかしである。武蔵はどうだったろうか?
 この疑問のためにここにやって来た。
 なぜなら、江戸の蕎麦屋は、蕎麦粉は蕎麦製粉業者の責任範囲、蕎麦屋は蕎麦麺を作る職人であったらしい。だとしたら、「蕎麦粉は蕎麦製粉業者の責任範囲」というのは、目の前でダイナミックに動いている巨大水車の役割ということになる。
 そう思いながら、頂いた資料に目を通していると、全国的に日本は搗臼水車が多いけれど、武蔵の水車770台のうちには挽臼水車が多く見られるようである。やはりそうだったのか! まさにわが意を得たりだった。なぜかといえば、江戸後期には蕎麦店が3700店以上が在ったというが、その商いを支えたのは、江戸周辺の蕎麦粉屋という産業があったからこそである。

 ところで、目の前の野川では数メートルおきに釣り人が竿を操っていた。何を釣っているのだろう。あとで釣りにくわしい知人のO.T.さんに教えてもらったところ、今はオイカワ、アブラハヤ、クチボソ、フナ、カワムツが釣れるという。

??????????

??????????

 この野川の向こう岸には箕輪家の古民家が残されている。一帯は昔、水が豊かであったろう。だから日本の固有種である山葵が栽培されていた。今では「三鷹大沢わさび」ととして復活されている。この山葵も奥多摩山葵とともに江戸の膳の〝粋〟を形成していたことはまちがいない。

 

                                                        野川の魚たちの写真提供:O.T.さん

江戸ソバリエ協会 理事長
深大寺そば学院 學監
ほし☆ひかる