第875話 水は日本の資源
2024/01/15
~ 味と香りの研究 ~
友人の三紀さんのお誘いで「水の官能テスト会」に参加した。
着席すると、いつものように用紙に性別と年齢を記すようになっている。
そして多くの水が用意されたが、詳細は秘密保持契約上、お話できない。
ただ、味覚には味と香りが大切で、水でさへそうだというが、この日多くの水を含んでみて、水にも味覚、臭覚の他に触感があるということをあらためて認識した。
そういえば、今まで飲んだ自然水の中で一番優しく美味しかったのは「月山自然水」であったが、表示を見ると「硬度約23㎎/L PH7.0」とあった。
これからすると水の美味しさは触感が一番大事ではないかと思う。
水が美味しさの決め手となるのは、お茶、ご飯、出汁、湯豆腐などがよく言われる。逆に、あまり関係ないというのは、醤油や酢造りなどである。塩分や酸味が強いため水の質を問わないことのようだ。お酒は「灘の男酒、伏見の女酒」といわれるように硬度を上手く利用しているところがある。
蕎麦はどうかといえば、水の質より、水を大切にしている面が言葉遣いから見えてくる。
たとえば、最初に蕎麦粉に水分を平等に含ませるための作業を「粉を交ぜる」ではなく、「水回し」という。そのために水を入れることを「加水」といい、最後の加水は「決め水」という。
その次に粉を練る。このとき水の成分のカルシュウムは繋ぎに寄与し、マグネシュウムは粘りに寄与してているともいう。さして延して、切って麺ができる。
いよいよ茹でるわけだが、そこで鍋は炎の中央から少しずらして置く。そうすると湯を対流させて、麺が平等にゆがけるのである。ここでは言葉は出てこないが、水を大事に利用している姿が見られる。
次に、茹でた蕎麦麺を「水洗い」する。このときも各段階に言葉がある。「つら水」「洗い水」「さらし水」である。一つひとつの説明は省くが、麺を大事にするために優しく洗う段取りと思えばよい。
念のために言うが、これは水資源豊かな日本だからこそ生まれた【江戸蕎麦】の特徴である。麺が誕生した中国や他の国はできないと思う。
例を上げれば、私たち江戸ソバリエは何度も中国へ行って、日本の蕎麦打ちを披露したことがある。ところが彼の国の水道水は食器洗いには使えるが、料理には使えないから苦労した。
「水の惑星」といわれる地球は水でできているが、そのうちの淡水は3%、うち利用することのできる川の水や地下水となると、何と0.5%にすぎないらしい。
その点、日本は降水量は世界平均の二倍と多く、また国土の七割が山地であるため、降った雨は一気に河川に流れ、水資源は豊富である。
だから、昔の人は水が資源であることも、またクニの領主も時に水が暴力を振るうことを知っていた。それゆえに水と仲良くすることも、時には闘う政策が必要であることを知っていた。
ところが、現在は「日本は資源がない」と枕詞のように言ったりする。そういうようにない物だけに目を向けて、ある物に目を向けない傾向がある。日本の美しい山河が荒れてきたのも、そのような貧しい心のせいだろう。もう一度「水が日本の資源」であることをあらためて江戸蕎麦論から申上げたい。