第253話 トコロジストⅡ

     

]☆日本橋蕎麦学
「江戸蕎麦は日本橋から始まった。」というのが私の持論である。
先ずは、江戸蕎麦の初出資料で有名な『慈性日記』には、三人の僧侶が常明寺で蕎麦切を食べたことが記録されているが、そのうちの一人だった詮長という人は日本橋本町にある東光院の僧であった。
二つめは「日本で最初の蕎麦屋」論である。これは諸説あるが、そのうちのひとつが日本橋瀬戸物町の「信濃屋」である。
それから、温かいかけ蕎麦の初めである《ぶっかけ蕎麦》を始めた新材木町「信濃屋」や、《しっぽく蕎麦》を始めた瀬戸物町「近江屋」と人形町「万屋」、《鴨なん》を考案した馬喰町の「笹屋」、そして極めつけは《天ざる》を始めた「室町砂場」。と、こうしたクリエイティブな史実が並ぶのが日本橋の特色であるが、それも日本橋が食の街だったからであろう。

☆トコロジスト
そんなことを思っていたら、日本橋と蕎麦について書かないか、話さないかということになった。最初は『月刊 日本橋』に書かせてもらって、次に「豊年満福塾」でお話した。そしてこの度は「日本橋 街大学」でお話することになった。

こうした講座というのは、1)以前は【話す】だけだったが、最近はだんだん組合せ式になってきた。たとえば、ときどき頼まれるのが、蕎麦屋さんでの講座である。つまり、【話す+食べる】の組合せというわけである。
さらには、千代田区から依頼があったときの講座では【打つ+話す】の組合せでやらないかとのことだった。続く日本橋の「豊年満福塾」のときもそうだった。
実は、私たちの江戸ソバリエ認定講座は開始時から【聞く+打つ+食べる】の組合せ式の総合講座であった。しかし、当初は「複雑でよく分からない」と、なかなか理解してもらえなかった。でも最近は「充実している」と好評であり、そればかりか世間の講座も組合せ式が多くなってきた。

2)そこで私は、千代田区でやる場合は千代田区関係者に携わってほしいし、蕎麦の話も千代田区を中心にしたい、と考えた。
そんなわけで、先の、千代田区講座のときは、「錦町更科の店主堀井市朗先生、日本橋「豊年満福塾」のときは日本橋そばの會・会長マダム節子さん登板いただいた。
他にも、深大寺そばの学校の講師のときも、『空』誌連載中の「文京蕎麦談義」もそのような地元主義という方針でお手伝いさせていただいている。
多少話は変わるが、神田明神江戸蕎麦奉納練馬の蕎麦喰地蔵講深大寺そば守観音様への貢献そば式も、できるだけこうした地元主義で応援していきたいと思っている。そうした方が〝愛郷〟という強い気持が底辺を支えるからだ。郷=サトの語源は、狭い所=サトだ。手の届く範囲の狭い地域になら愛着を感じる、というのが愛郷であると思う。

3)この度の「日本橋 街大学」もそうしたいと思っていたら、事務局さんの方針も全く同じだった。
つまり【日本橋の蕎麦の話を話す】+【日本橋の蕎麦屋さんで食べる】ということであったから、何の問題もなかった。
ただ、加えて7月8月9月の連続講座とのことだった。話すより、書くのが好きな小生だから、「そんなに話すことはありませんよ」と笑いながらも、とりあえず承諾した。
終わってみると、連続方式もわるくないと思った。というのは、次回話すときに、言葉を換えて前回のことをもう一度話した方がより理解してもらえるナと感じたからだった。これが「話すこと」と「書くこと」のちがいかもしれないと思った。

そんなわけで、1)組合せ式、2)地元主義、3)時には連続方式が、トコロジストを自称する小生のノウハウになったようだ。

【挿絵☆ほし】

〔江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる