第255話 「絶滅危惧仮名」を守ろう
数年前にあるテレビ局から「お蕎麦屋さんの暖簾に書いてある文字は何と読むのですか?」という質問があった。
「あれは、楚という字を崩した文字と、者という字を崩した文字です。それでそばと読むのです」とお答えした。
以来、これが私の講演の導入部分となったが、もすこし話を加えることにすると、明治維新後に日本は統一国家となり、日本語も統一しようということになった。
先ずは、ご承知のように東京の山の手言葉を日本語の標準語とすることにした。
次に、仮名とよばれる崩し字をひとつに決めて「あいうえお」の五十音別に整理しようということになった。
それまで私たちご先祖様は自由に仮名を使っていたわけだ。
たとえば、ソは、楚という字を崩す人もいれば、曽という字を崩した文字を使う人もいた。
そこで、ソというときは曽という漢字を崩した「そ」だけを使うようにし、楚という漢字を崩した字は使わないようにした。
そして、使う字を「平仮名」と称し、使ってはいけない字を「変体仮名」として区別するようになった。
でも嬉しいことに、頑固な人がいて、一部だが明治以来の長い年月を潜り抜けてきた変体仮名がある。
大塚「小倉庵」(江戸ソバリエ)の箸袋には「御手毛登」と書いてある。
「かんだやぶ」さんに行けばおしぼりの袋に「や婦」とある。
市ヶ谷の宮澤先生(江戸ソバリエ講師)のお店の名前は「多可左古」。
まだ探せば、こうした変体仮名が何処かの片隅で生き続けているのかもしれない。
ところで話は変わるが、今も昔も「地方再生」とか言われているけど、皮肉なことに言えばいうほど社会は均一化している。
なぜか? 簡単なことである。
各々の地域の魂である方言が消滅し、均一化した標準語になってしまったから地方が消滅しているのである。
小さな文化を大切にしなければ多様化は成立しない。
と思うが、いかがだろうか。
〔エッセイスト ☆ ほしひかる〕