第894話 蕎麦豆腐 談義

      2024/05/06  

☆米切り 
  日暮里に《米切り》の幟旗が立っている蕎麦屋があった。入りたかったが、その時は急いでいたので素通りすることにしたが、以来気になって仕方がなかった。 
 たまたま、またその辺りを通ることがあった。しかし今度は《米切り》の幟旗はなかった。でも思い切って入って、店主に尋ねると、「来年から、スカイツリーの近くで《米切り》専門店を開く予定なので、今はこの店ではやっていない」ということだった。あ~、やっぱりあの日に入っておけばよかったなぁと悔やんだが、あとの祭り。《よね切り》について、ずっと前にある老舗の蕎麦屋の店主に聞いたところによると、新米の季節に上新粉と更科粉で打つらしい。中国南部産のあの《ビーフン=米粉》とどこが違うのだろうか。来年を楽しみにして待つことにした。

☆豆腐つなぎ
 ということで、「じゃ、何にしようかと」お品書を見ると《豆腐つなぎ》というのがある。せっかくだから今日はそれをいただくことにした。現れたそれは普通の蕎麦だけど、微かに豆腐の匂いが立っていた。
 これについても、以前、老舗蕎麦屋のある店主(故人)が「昔の蕎麦屋は大豆の匂いがプンプンしていた」というようなことを言っていたことを思い出した。
 その匂いとは、目の前の《豆腐つなぎ》だったのか、それとも豆乳でつなぐ《呉汁つなぎ》の匂いだったのかまでは確認できなかったが、今思うともう少し詳しく教えてもらっておけばよかったと思った。

☆白そば
 その代わりの話といっては何だけれど、栃木の出流の「さとや」さんが、豆腐つなぎ豆乳つゆにした逸品を創作したから、名前を考えてほしいと頼まれたことがある。四苦八苦悩んだ末に、《出流 白そば》の名前を提案したら喜んでもらえて、ホッとしたことがあった。

☆豆腐蕎麦
 そんなとき、江戸料理研究家の半眼子先生から、電話をいただき、いつものように大塚「小倉庵」でお会いしようということになった。
 そこでフッと思った。先生とはけっこう長くお付合させてもらっているけど、半眼子こと福田先生が訳されている『豆腐百珍』(ニュートンプレス刊)にまだ署名してもらってなかったことを思い出し、明日持参してサインをしてもらうことを思いついた。なにしろ、何 必醇:著・福田 浩:訳『豆腐百珍』には「蕎麦豆腐」が更科粉で打つと紹介してあるから、ソバリエとしては貴重な書である。

 さて、小倉庵でお会いするや先生が「これ上げる」と『蕎麦百珍』(中公文庫)を差し出された。ニュートンプレス社から版権を譲ってもらったのか、この度中央公論社が文庫として発刊したのだという。眼が点になったとはこのことである。期せずして、二人で新旧の『豆腐百珍』を持ち寄ったことに互いに苦笑いとなったが、私は二冊ともサインしてもらい、当初の目を達したことになった。

ほし☆ひかる
江戸ソバリエ協会 理事長
農水省 和食文化継承リーダー