第899話 世間と分別と
2024/05/31
日本橋倶楽部(日本橋)で「日本橋発、江戸蕎麦文化」というお話をした。
内容は、日本の蕎麦屋の蕎麦の逸品のほとんどは、江戸時代の日本橋の蕎麦屋が開発して、今に続いているというものだった。
講演には、筋立ててお話する他に、頭に備蓄している余談のようになことが幾つかあって、時間の余裕があるときはそれを引っ張りだすこともあるが、今日は時間がなんかったので、そうしなかった。
注:講演の骨子は→蕎麦春秋.com
https://www.sobashunju.com/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=635
☆立ち食いは戦後から
余談の一つが、「立ち食いは戦後から」ということである。
江戸時代は、上り框に腰を掛けるか、座敷に上って座って食べるかしていたが、江戸末期に屋台が出てきても一部の人たちしか食べないが、それでもしゃがんで食べていて、決して立ち食いではなかった。
現代の屋台は水道完備で衛生的であるが、そもそもの話、当時の屋台はまちがいなく不衛生だった。だから身分格差のある江戸時代は、敷居のある家や店は、「敷居が高くて入れない」というわけで、身分の低い人たちが屋台を利用した。そうであっても、江戸時代までの日本人は立ち食いはしていない。現にしゃがんで食べている娼婦が浮世絵にある。
立ち食い店の歴史は、昭和21年ごろ四国の土讃線・阿波池田駅にできた立ち食い蕎麦屋が始まりだろうといわれている。また昭和40年代に宇高連絡船に立ち食い饂飩店があって、その写真にはデッキの上で立って食べている客が写っている。またその前に「駅蕎麦」といわれるのが明治30年の信越線軽井沢駅にあったらしいが、これが立ち食いだったかどうかが確認できていないらしい。だから今のところ立ち食いは戦後から始まったと考えるべきで、決して江戸末期の屋台ではない。
☆箸で食べる
余談二つ目。先日、ある蕎麦屋さんに行ったとき、外国人が《天せいろ》を食べていた。
箸で麺を取って置いてある猪口に付けて、食べていた。一応スムーズではあったが、猪口は手に持たないし、麺は啜っていなかった。
次が《天麩羅》である。彼は海老を手に取って、添えてあった塩を付けて、ムシャムシャとハンバーガーか、フライドチキンでも食べるように、手で一所懸命に食べていた。
世界では、箸食、スプーン・フォーク食、手食の民が各1/3ずついるらしいから、手食自体は否定できない。しかし来日したら和食文化の箸食でと願うところである。
そんな目撃談をある友人に話したら、薬味皿と蕎麦猪口の両方に蕎麦つゆを入れて、薬味皿のつゆに蕎麦を付け、蕎麦猪口のつゆに天麩羅を付けて食べている外国人がいたという。どこの国の人かは知らないが、彼らは彼らになりに自然だったのかもしれない。しかし来日したら和食文化を知ってほしい願うところである。
☆日本の蕎麦
余談三つ目。だいぶ前だった。ある蕎麦屋さんに行ったら、ヨーロッパ人が《ぶっかけ》を注文したので、店主が「それはメニューにない」と返事したところ、「日本人が蕎麦打ちを教えにきて《ぶっかけ》は日本の蕎麦だ言った。それは嘘か」と言ったという。
店主は怒っていた。「ちゃと説明しろよ。素人は文化交流だと言いながら自分たちだけが満足しているんだ」と。
ただ、私には理解できる。海外へ行ったときは、そのようについ簡略化した形で提供してしまうが、やはり今の正当な日本蕎麦である《ざる蕎麦》を見せるべきだ。しかも「《ぶっかけ》をこれが日本の蕎麦だ」と外国の人言ったりするのは、すこし安易だと思う。
先ほど、来日した外国人に、和食文化を学んで欲しいと偉そうに申上げたが、その前に日本人が和食文化を学んでほしいというところである。
話はちがうが、過日、郷土蕎麦の《・・・・》を日本の蕎麦として海外で紹介されているという話を聞いた。もしかしたらそれを聞いた外国人が東京の蕎麦屋にやって来て「あの《・・・》をください」と言い出しかねない。店主はまた「それはメニューにない」と言うだろう。
☆啜ると、音
余談の四つ目である。蕎麦といえば、音を立てて食べるのは下品だという話がよく出る。
しかし、明治38年の夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』には蕎麦の食べ方が丁寧に語られているが、音を立てて食べるとは言ってない。それから見ると、江戸人は上手に啜って音など問題ではなかったと思う。
それが「蕎麦=音」となったのは、漱石の後に語られるようになった落語「時そば」のせいだと思う。その落語家は関西人だった。たいていの関西人ははじめ関西の麺と江戸の麺の相違に戸惑っているが、その落語家もそうだったのだろう。関西の飲む汁と江戸の付ける汁の本質的違いを理解できないまま、関西落語の「時うどん」を「時そば」に変換して、今に至っている。
このことについて、蕎麦が大好きな知り合いの落語家さんがこう言っていた。
「なんたって、落語家は笑ってもらわなければ商売にならない。バカ言って、バカやって、笑ってもらうのが落語家。『時そば』も笑ってもらうためにわざとズルズル音を立てて麺を食べるところを演じた」と。
お笑いはお笑いでしかないのに、時にお笑いが世間を変えてしまうこともある。「時そば」以降、「蕎麦=音」という認識が世間では定着してしまった。
しかし彼は、お笑いが仕事であるもかかわらず、その上をいく分別が備わっていると感心した次第である。
さて、「日本橋発、江戸蕎麦文化」で申上げてはいないが、ほんとうの願いは日本の蕎麦とはどういうものかを分別をもって知ってほしいということであった。
《写真》
日本橋倶楽部のコースーター:一般のコースターより大きく、また厚さは4倍ほどある立派な物。
『月刊日本橋』:講演を告知してくれた誌。
ほし☆ひかる
江戸ソバリエ協会理事長
和食文化継承リーダー