第901話 男と女のいる食卓
2024/06/19
6月某日、「グー(林幸子)先生の季節の蕎麦ご膳 ~ 食べて飲んで、蕎麦通に!」が『オレンジページ』の体験型スタジオ「コトラボ」で開催された。
林幸子先生の蕎麦膳は、焼き味噌、揚げ蕎麦、天抜き、掻き揚げ、手巻き蕎麦、手打ち蕎麦、それに私(ほしひかる)の蕎麦談義がおまけとして加えられた。
私の談義は、『オレンジページ』のマネジャーHMさんから質問状をいただき、その回答を話してほしいということだった。
開催日の数日前にいただいた質問状にざっと目を通したところ、たくさんあるQのなかに気になるQが2つあったので、そこから思うことをづれづれと述べてみよう。ちなみにHMさんは女性である。
Q.(東京の)蕎麦屋の《搔揚》について
サクサクだけど、厚みがあって食べにくい?
一般的に女性は男性より口も手も小さいから、そんなこともあるのかもしれない。今まであまり意識していなかったが、美味しさを微妙に左右させることがあるだろうと思った。
《掻揚》は《掻揚天麩羅》の略だから、《天麩羅》の一種であることはまちがいない。
そもそも《天麩羅》というのは、江戸末期の江戸の誰かが江戸前の小海老に衣を付けて油で揚げ、屋台で売り始めたのが始まりで、歌川国芳の浮世絵「園中八撰花」には小海老の《天麩羅》が描かれている。
《掻揚天麩羅》は、江戸前の貝柱・白身魚・小海老や、根菜類の薩摩芋・人参・牛蒡などを細かく切って衣を付けて寄せ(搔き)揚げたものだが、現在は多種多様な食材が使用される。おそらく《天麩羅》より後に考案されたのだろう。それが《掻揚》として独立感が出たのは大正時代かららしい。
ところで、室町砂場の《天ざる》は別容器の汁の中に《掻揚》が入っている。またかんだやぶの《天婦羅蕎麦》は温かい汁のなかに《掻揚》が入っている。だから《掻揚》も《天麩羅》の一種であることを実感できるが、このように《掻揚》は元々汁の中にあるものでなかったかと思う。そうするとご指摘の「厚みがあって食べにくい」ことは昔はなかったのかもしれない。
加えて神田まつやの《天もり》などを見ると、現在の《天ざる》の前の時代は、これだったのかなと「天麩羅の変遷」の一部が見えてくるような気がする。
さらには、粉を溶いて焼くという方にまで目を転ずれば、東京生まれの《どんどん焼》や《もんじゃ焼》、それから転じたであろう《お好み焼き》もみんな《江戸天麩羅》の親戚のように見えてきた。
Q.啜って食べるのは下品なの? (とくに女の人)!
これは女性から時々言われることがあるが、ヨーロッパ流のマナーからの批判であり、「啜ること=音を立てること」となっていることが多い。
麺食文化が希薄なヨーロッパと麺文化圏どっぷりの東アジアの食べ方と、また汁をスプーンで飲むヨーロッパ人と器を手に持って箸で食べる日本人を一緒に論じてはいけない。食文化は民族のなかで生まれたということを理解し、そのうえで静かに啜ることもできると思う。
食においては、このような男性と女性との違いばかりでなく、年齢や、生まれ育った風土によって、美味しさや食べ方は異なるものである。
そもそもが味覚に鋭い人、鈍い人は1:3ぐらいの割合だという。また女性は男性より味覚に敏感であり、若者より高齢者は鈍感である。その味覚のなかでも七味の各々(酸味・苦味・辛味・渋味・鹹味・甘味・旨味)が好きな人、弱い人もいる。当然、触覚・臭覚・聴覚・視覚の各々に鋭い人、鈍い人もいる。
という具合に食と人の世界は多様であるから、ヨーロッパ人は味覚にうるさかったわりには旨味に気付かなかったのも事実である。
そして蕎麦界で世話になっている目からみれば、日本人は触覚を大切にした民族であると思う。だから麺に〝腰〟を求めた。松尾芭蕉は「江戸の蕎麦切は、堅からず柔らかならず」とすでに江戸初期ごろ日本人の触覚嗜好を予測していたようである。
個人的なことわいえば、私は味覚も大事だと思うが、それ以上に触覚を一番気にする。だから蕎麦が好きになった理由でもるが・・・。
話がとりとめもなく広がりすぎてくるからここら辺で閉めることにするが、人間は多様であることを題名の「男と女」にこめて、互いを認め合い、敬愛する世界になればと願っている次第である。
ほし☆ひかる
江戸ソバリエ協会理事長
和食文化継承リーダー