第264話 道産粉談義

     

お国そば物語21

【北海道 昭和新山 ☆ ほし絵

北海道 ― と聞くと、何となく浪漫を感じるのはなぜだろう。若いころに読んだ小説『榎本武揚』や『燃えよ剣』のせいだろうか。そこに描かれていた五稜郭の戦、そして「共和国宣言」に見られる、独立精神は今「食糧王国」として引き継がれているような気がする。
たとえば、昆布、鮭、帆立、ホッケ 、蟹、海胆、小麦、ジャガ芋、乳製品などの供給量はおそらく全国1位だろう。言葉を換えれば、日本人の食卓は北海道によって支えられているといってもいい。

そしてわれわれ江戸ソバリエが忘れてならないのは、北海道蕎麦の収穫高が日本一ということである。平成23年度の実績を見ても、北海道が11,000t、福島・山形・長野・茨城県が2,000t台、福井・栃木県が2,000t弱といった具合で、北海道は全国の約45%を占めているから圧倒的だ。
しかもこの傾向は昔からだった。(社)日本蕎麦協会の資料によると、昭和50年ごろから北海道は日本一を記録している。
「じゃ、それ以前は?」というと、それは明確ではない。というのも、都道府県別の蕎麦生産量の統計をとり始めたのが昭和50年からなので、残念ながらそれ以前はわからない。

「では」と話を発展させて、北海道の人が古い時代から《蕎麦》を食べていたかというと、そうでもないらしい。アイヌ民族博物館の館長の話によると、アイヌ人の食生活の中に蕎麦は入っていなかったという。私なりに調べてみてもそのようだが、「調べる」というのは、古の北方の民が「そば」という言葉を使っていたかということにある。
その前に、日本語の「そば(蕎麦)」という言葉は、「」と同じ語源、すなわち辺鄙な所に育つ植物というところからきている。
もちろん今、アイヌの人たちも「Soba」という言葉を使っているが、それは日本語の言葉が入ってきたためである。というのも、アイヌ語では「側」は「Sam」と言う。つまり、日本語のように「Soba 蕎麦」と「Sam 側」が同じでない。ということは「Soba 蕎麦」が後代に入ってきた言葉であるが故に、蕎麦を食べる習慣もなかったということになる。
余談だが、人間の真実を知るためにも、私たちは方言、地方の風俗などを大事に守らなければならないということだろう。

さて、私たち日本人が米を主食とするようになったのは天武天皇がそう決めてからだ。以来、日本の政治・経済は米を中心にして動くようになり、日常では「飯=食べ物を食べること」と「米飯を食べること」を混同して使うようになった。
それが昭和の高度経済成長期に、日本政府は減反政策へ転向した。この動きを素早くキャッチし、蕎麦栽培を始めたのが幌加内町であった。そのために現在の幌加内町の蕎麦収穫量は、先述の一つの県と同格になり、北海道の蕎麦をリードしてきた。
何事も1番が1番になる、一番の早道だということだろう。

参考:安部公房『榎本武揚』(中公文庫)、司馬遼太郎『燃えよ剣』(新潮文庫)、

〔江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる