第932話 「蕎麦」と「そば」
知人のYさんが梅ケ丘の国士館大学で「有田焼の祖・李三平」の講演をするというので聞きに行った。
その前にお昼を済ましておこうと、駅前のお蕎麦屋さんの戸を開けたら、満席だった。
少し行くと中華そば屋があった。立看には「鹿児島産の本枯節と長崎産の鯵煮干を使用した和の香る和出汁中華そば」とあった。
これから佐賀有田の話を聞こうという私にはピッタリだと思った。それに立看に書かれてあった文字の使い方が正しいことに感心した。
その感心は、先ず「蕎麦」と「そば」の字の使い分けである。
蕎麦は種を撒いてから、75日の早さで成育するので、「喬 タカシ」という字に草冠をのせて創られた字であって、たいていの字が他の意味をもつというのに、「蕎」の字は蕎麦以外の意味はないという貴重な字なのである。
だから私は、「蕎麦は漢字で書きましょう」と言っている。
昨年の夏、千葉のある会で講演したとき、終了後に感想を書くという会があった。
感想の中に「70才にして、今日初めて蕎麦という字を漢字で書きました。漢字の成立意味を知ったら、すぐ書けた。学校でどうしてそういう教え方をしないだろうかと思いました」とあった。
ところが、世間には「植物のときはソバ、食べるものはそば、その他のときは蕎麦」と書きましょうと真面目な顔をして言う人がおられる。
しかし、〝漢字〟をまだ学んでいない小学校低学年の生徒にならともかく一般人にこういう説得はまちがっている。
そもそもが日本語文というのは、文章の主体は名詞であり、その名詞は漢字で表現することになっている。ただし例外はある。
それは使い分けである。先人たちは、たとえば葛で作った餅は「葛餅」(奈良)と書き、小麦粉で作った葛餅風の餅は「くず餅」(関東)と使い分けていた。
「旨い」と「うまい」もそうである。旨味成分のある物は「旨い」、単に美味しいときは「うまい」と書いた。(栗山善四郎『料理通』)
同じように、蕎麦も蕎麦成分のある麺は「蕎麦」と漢字で書き、通称「そば」と言ったりする「中華そば」はひらがなで「そば」と書くのが正しい。
それから、カタカナには、漢字やひらがなのような字体がない。だからカタカナのカタは、片手落ちのカタからきているものであり、また記号的な役割をもっている。したがって音などを表現するときや、西洋の外来語などを記すときなど便宜上使うものである。
さらには、出汁も名詞であるし、出汁成分を有するから、漢字で書くのが正しい。ダシなどと便宜上の使い方で書いてしまうのは、出汁に失礼であろう。
話は少し離れるが、蕎麦の世界でよく使われる「酷」や「切れ」もそうである。たいていの人が「コク」「キレ」とカタカナで書いてしまう。
前に、神田のある会で講演したときに「酷」と書いたら、「先生、字が間違っていますよ」と言われたことがある。私はその方が恥を書かないようにするには何と説明しようかと一瞬戸惑っていたとき、別の聴講者の方がスマホで検索して、「いや、先生の方が合ってますよ。ここに出ている」と言ってくれて、ホッとしたことがある。しかし実は、これはこれで複雑である。私の言うことより、スマホで検索したことに皆さん納得されたということになるからである。些細な事件だけど、大きく考えれば、人間による講義が成り立たなくなる恐ろしさを予感する出来事であった。
まあ、そんな思いをもった中華そば屋だったからか、なかなか美味しい「和出汁中華そば」だった。
これはもう「和食」だとさえ思って、満足して会場の大学へ向かって行った。
追記:知人の著を読んで、江戸蕎麦に絶対外せない白磁の蕎麦猪口について述べた。
「白磁光明蕎麦猪口ものがたり」
・肥前編 202408hoshi_kikou1.pdf
・江戸編 https://www.edosobalier-kyokai.jp/pdf/202408hoshi_kikou2.pdf