第941話 男の味、女の味

     

 ずっと以前に『冷静と情熱のあいだ』(1999年)という小説を読んだとき、面白い企画だと思いました。
 女性作家の江國香織氏と男性作家の辻仁成氏のお二人が同じ物語を連携しながら執筆し、オトコ側の愛とオンナ側の愛を一つの小説の中に閉じ込めているのです。驚きながらも私は、新しい試みはきっと楽しい仕事なんだろうなと思いました。ただそれは若者の話でした。
 しばらくしますと、中年の愛の物語『美しい時間』が同様の企画で発表されました(2008年)。
 今度の女性作家は小池真理子氏、男性作家は村上龍氏でした。テーマは、人生の時間です。
 女性作家の小池真理子氏が書いた「時の銀河」は、交通事故で亡くなった一人のオトコの、その妻と愛人(52才)がともに食事をしながら、彼と過ごした愛しい時間を思い出すという小池真理子氏らしい危うい設定でした。しかしオトコはオンナを知ったため妻を相手にしなくなり、オンナはオトコを愛したため結婚生活が色褪せ、別れてしまいます。妻は夫が死んだとき、なぜかオンナに夫の死を知らせて、こうして妻と愛人は会っているのです。
 もう一方の男性作家村上龍氏の「冬の花火」は、恩師の死をきっかけに主人公(54才)は妻を旅に誘います。「花火は一瞬で消えるが、一体感のようなものを刻みつける」という先生の遺言に魅かれての旅でした。
 小池氏の「時の銀河」では、亡くなった男のかっこよかった仕草や身体の思い出話ばかりが続きます。料理の中身もそれが美味しかったかどうかも話題になりません。どこか虚しい感じがします。オンナにはオトコを映す鏡のようなところがあります。おそらくオンナは愛するオトコから何も得なかったところが伺えます。男性の読者からすれば、退屈な小説でしょう。
 一方の村上龍氏の「冬の花火」は、ほとんど仕事の話で占められていますが、他にもいろんな話が出てきます。女性にとってはどうでもよい話かもしれません。 
 そこで夫は妻を長崎旅行に誘います。花火を上げてくれるホテルが長崎にあるからです。「いったい急にどうしたの?」と妻は驚きながらも了解します。妻との国内旅行は久ぶりという文言も、よくある中年夫婦の景色でしょう。
 長崎で二人は、眼鏡橋を観たりしますが、ほぼグルメ旅行です。チャンポン、皿うどん、有名な卓袱料理、そしてハウステンボスホテルズのフレンチレストランでは一流シェフの料理が出てきて、妻は何度も「すごい」という言葉を口にし、バラのシャーベットには感動のため息を吐きます。妻の反応は実に豊かです。そして料理の余韻が残っているとき、始まった花火を見ながら、二人は幸せな時間を感じます。
 もし、この小説が別々の本になっていたら、普通の出来栄えだと思います。それなのに、こうして男女ペアの一冊の作品になると、二人の作家の呼吸は、夫婦が夢中になって食べた、甘く煮た大根に合わせたフォグラが寄せられた真鴨のエギュイエットと、カシスが入ったソースのように、極上の作品になりました。
 短い間だったけれど快楽をくれた愛人に、交通事故死を与えた作家小池真理子氏。仕事に真面目な男に、長く付き合ってくれた妻の肩を抱かせた村上龍氏。 
 それでも、二者の小説にはまぎれもなく命という時間の愛おしさが漂っています。
 おそらく、男女二人の書き手は理解しあって盟友として、同じ「冬の花火」を想いながら書き上げたのでしょう。
 異性理解は他者理解の最高峰であることを共同作品で示したところが、この企画の素晴らしさだと思います。

参考1:ハウステンボスホテルズのフレンチレストランは、村上龍氏の『初めての夜、二度目の夜、最後の夜』の舞台でもあります。

参考2:辻仁成『冷静と情熱のあいだBlu』(角川文庫)、江國香織『冷静と情熱のあいだRosso』(角川文庫)、小池真理子・村上龍『美しい時間』(文春文庫)、村上龍『初めての夜、二度目の夜、最後の夜』(集英社文庫)

絵:ほし☆ひかる

エッセイスト
ほし☆ひかる