第269話 巨匠の蕎麦

     

【挿絵 ☆ ほし】

☆達磨蕎麦会
年末恒例の高橋名人の蕎麦会に参加するため、駅から会場の妙福寺(練馬)まで歩いて行く途中、必ず知合のどなたかとお会いする。今年も、あるソバリエさんに「こんにちは」と声をかけられ、ご一緒した。
妙福寺に着くと、さらに別のソバリエさんたちがたくさん見えていた。高橋名人は相変わらず大変な人気だが、この妙福寺の蕎麦会も今年で最後らしい。
席に座ると、これまた例年通り《冷奴》と《ざる蕎麦》三枚。「あれっ!」 今年の二枚目は《ざる》は《ざる》でも、太目の《いなか蕎麦》が。間違いか、サービスか?  口に入れれば細い《江戸蕎麦》はツルツル、太い《いなか蕎麦》はカメカメ、合わせて「鶴亀」と年末らしい計らいか? とにかく《ざる蕎麦》以外の余計な物はない。これが高橋流である。
ここでの蕎麦会は、聞けば29~30年前から行われているというが、私はいつから参加させていただいているだろうか。寺西先生(江戸ソバリエ講師)にお誘いされてからであるが、たぶん平成18年か、19年ぐらいからであろう。
思い出すのが、平成21年に寺西先生をサンフランシスコの蕎麦打ちボランティアにお誘いしたときのことだ。長期の海外旅行へご婦人をお誘いしていいものかどうかと迷っていたとき、この蕎麦会に寺西先生はご夫婦で見えていた。チャンスとばかりに私はご主人にお許しをもらうことにした。むろんオーケーを頂き、平成22年の春にサンフランシスコへ出かけることができた。
このサンフランシスコ行は、私の蕎麦人生の中で重要な分岐点となった。それまでの味覚は、国内の東西文化の比較ていどしか知らなかった私が、曲がりなりにも世界の東西比較を意識し始めるきっかけとなったのがSFであった。その出発点がこの高橋名人の蕎麦会だったというわけである。

☆巨匠の世界
ところで蕎麦界には、江戸蕎麦の老舗とは別に「名人」と呼ばれる人たちがたくさんおられる。中でも「達磨」の高橋邦弘氏、「ほそ川」の細川貴志氏、「竹やぶ」の阿部孝雄氏などは名人かつ個性的な方だと思う。どこが個性的かといえば、高橋さんは「高橋名人」、細川さんは「ほそ川」、阿部さんは「阿部ワールド」と冠していわれることが多く、そこに彼ら巨人たちの特質が潜んでいるように思える。
その共通するものは、一言でいうと「自分探し」とか「自己実現」という言葉で言い表せるだろう。
自己実現 ― 、今はあまり使われることも少なくなったかもしれないが、それは自分のもつ能力を実現しようとすること、新しい目標に向かうこと、あるいはご自分の内なる声に耳を傾け、それを実現した結果が、社会が望んでいたものと一つになることだと思う。
では、お三方の内なる声とは何だろう? 三人の方に直接取材させてもらったときの私の印象では、高橋氏は「蕎麦道一本道を歩みたい」、細川氏は「もっと美味しい料理を作りたい」、阿部氏は「殻を破りたい」ということではなかったろうか。その結果、たかが蕎麦を粋な蕎麦まで高めた高橋さんを「名人」と呼び、細川さんの美味しい蕎麦・料理・デザートを口にした人は「ほそ川」という店まるごとが忘れられなくなって、あの「ほそ川」と憧れるようになり、阿部さんの「竹やぶ」を訪れた人はその蕎麦を中心としたアート作品に圧倒され、「阿部ワールド」と驚愕するのである。
私はといえば、お三方に会う度に、励まされたり、圧倒されたり、刺激を受けたりと、いつまでも右往左往するしまつである。

〔江戸ソバリエ認定委員長☆ほしひかる