📅 2026/05/18 執筆者:ほしひかるの蕎麦談義

第978話 五月の大雪山旭岳


☆郷土小説『塩狩峠』
 仕事で北海道東川町に行くことになりましたので、早朝に羽田空港へ向かいました。
 便は旭川行ANA4781、7時00分発です。
 飛行中畿内では、三浦綾子の『塩狩峠』を読んでいました。
    塩狩というのは、天塩と石狩の二つの地に由来する地名です。
 小説は読んだことはありませんでしたが、北海道宗谷線塩狩峠における列車事故を材にした三浦の創作だということは知っていました。  
 事故は明治42年2月28日に起きました。宗谷本線・名寄発旭川行の8100形蒸気機関車が、塩狩峠を差し掛かったとき、最後尾の客車の連結器が外れるという列車分離事故が起きました。
 その日、たまたま鉄道院(国鉄の前身)旭川鉄道運輸事務所の長野政雄が乗り合わせていました。長野はデッキの上のハンドブレーキを操作して暴走する客車の停止に挑みましたが、その最中に線路に転落してしまいます。客車は停止しましたが、長野は殉死。お蔭で乗客に一人も犠牲者は出ませんでした。長野政雄は28歳だったそうです。いま、塩狩駅構内には碑がたてられています。
 小説『塩狩峠』では長野をモデルとした主人公が列車を止めるべく、自らの意志でデッキから車両の前に飛び込んだと解釈され〝崇高な犠牲〟を果した若者として描かれています。
 物語は主人公の少年時代からゆっくりと進みます。彼は普通の少年ですが、体験する物事に一つひとつに誠意をもって臨んでいく過程で、悩み、乗り越え、好青年へと成長していきます。ですが、巻末に差し掛かるころ、つまり主人公の結婚式を迎えるころから、まるで蒸気機関車が峠を登りはじめるように筆致も力強くなり、読む者も何かの予感がしてきます。そしてとうとう塩狩峠の事故が起きます。遺された婚約者や、親友たち、目にかけていた上司は絶句します。しかしながら、犠牲を払った事故死ゆえに主人公は永久に人々の胸の中に生き続けるという感動の郷土小説でした。
  
 8時15分、ちょうど読み終わったとき、飛行機が旭川空港に着陸しました。
 私は、当地にこういう人物がいたのかとの思いをいだきながら、今日・明日のイベントの主催者が迎えにきてくれるというバスを待ちました。
 その間、空港内を見るともなく見ていますと、大雪山旭岳の写真があちこち見られます。そうしたところに地元の人たちの旭岳に対する誇りがあるように感じました。
 やがてやって来たバスは東川町に向かって北へ進みます。空港を出たあたりで三浦綾子文学記念館の標識が目に入りました。
 窓から見える水田の畦道に無数の蒲公英が黄色の毛糸を並べたようにびっしり咲いていました。
 そして右手遠方の残雪の旭岳が、バスの走行を見守るようについて来ます。旭岳はなかなか容貌のいい山です。東京に戻ったら描いてみようかと思いました。
                                               
参考:宗谷線:名寄→名寄高校→風連→瑞穂→多寄→士別→剣淵→和寒→塩狩→蘭留→比布→北永山→永山→新旭川→旭川四条→旭川
   
☆郷土麺
旭川醤油ラーメン》
 1泊2日の仕事が済んで東京に戻るため、旭川空港に向かいました。また旭岳がついて来ます。
 便は羽田行ANA4781、出発は19時30分、到着は21時15分の予定です。
 便は違いますが、ほぼ同じころ出発のJALに乗られる『蕎麦春秋』の社長さんとSuさん、そしてソバリエのSjさんと空港まで一緒でした。
 時計を見ますとまだ十分時間があります。4人は空港内のラーメン店梅光軒に入りました。皆さんがやはり《旭川醤油ラーメン》を選びました。私は今まで、札幌の《味噌ラーメン》、函館の《塩ラーメン》や、帯広のラーメンを食べたことがありますが、今日は旭川ラーメンというわけです。

 そもそもが、《ラーメン》という名前の発祥の地は北海道だといわれています。
 話は大正後期のことです。札幌の蕎麦屋「竹家」では、従業員の王文彩(山東省出身)が作る《支那そば》(肉絲麺)を商っていたそうです。王はいつも「好了=ハオラー」と返事していました。それを耳にしていた女将のタツは《支那そば》を《ラーメン》とよぶことを思い付いたと伝えられています。有名な話です。
 でも、《ラーメン》の祖は、浅草六区の「来々軒」で誕生したというのがラーメン界の定説です。横浜出身の店主尾崎寛一と広東省出身の横浜の料理人たちが、試作を繰り返し、日本人の口に合う濃口醤油の汁に、手延べ麺、その上に叉焼、支那竹、葱を上置した、現在の《ラーメン》の原形を作ってから、世間の人たちも《支那そば》とよんで食べるようになりました。しかし店が人気になって忙しくなりすぎ、来々軒は機械打ちにしました。
 麺研究家の岡田哲によによりますと、手延べ→手打ち→機械打ちという来々軒の変化が日本のラーメン界の変化の象徴だと述べています。
 現在、ラーメンは日本を代表する麺の一つにまでなりましたが、それは「竹家」の女将による「ラーメン」という命名が大きかったものと思います。
 ところで、目の前の《旭川醤油ラーメン》は中細で、ちぢれ麺です。そして汁の色は写真のように醤油らしくありません。一口汁を味わいますと、豚骨と鶏ガラと、魚介の味がします。九州の《豚骨ラーメン》より臭いはありませんが、動物系の汁にまちがないというのに、煮干しの臭いもするという北海道らしい味です。

 私が思うには麺は麺でもこうした小麦系と、われわれの蕎麦系では世界がまったくちがいます。
 山にたとえれば、蕎麦麺は不動の高野山のようです。
 蕎麦は個性と香りが豊かで、つゆは旨味が軸です。この聖山には空海一人しか存在しないといった光景が蕎麦の世界です。
 一方の小麦麺は比叡山のようです。
 この山には、饂飩、素麺、中華麺、パスタ、ラーメンたちが各々汁や具を競い、まるで最澄と彼にしたがう者、そして法然、親鸞、日蓮、道元ら才人たちが居並ぶかのように存在しています。
 ですから麺の景色は、蕎麦は西から東まで江戸蕎麦一本ですが、小麦麺は南から北まで百花繚乱です。だからこそ、小麦麺は多彩な郷土麺の景色を繰り広げているのだと思います。

エッセイスト ほし☆ひかる