📅 2026/06/10 執筆者:ほしひかるの蕎麦談義

第979話 小雨の田んぼの懐石料理


 江戸料理の「芝浜」の店主海原さんから、愛知の懐石処「末木」に行きませんかとお誘いがありました。海原さんは料理研究に熱心で、よく名店巡りをやっておられ、今回は三代目の松岡昌平氏が上梓された『料理屋の「弁当と仕出し」』を拝読してから、ずっと行きたかったとのことでした。

 他の同行者も食、和食の専門家ばかりです。お誘いされた海原さんの他、江戸料理研究家の福田先生と、豆腐マイスター協会の森村理事と、小生と、もうお一人予定されていたのですが、どうしても都合がわるくなって、今日は4名の食の遠足会となりました。
 先ずは、新幹線で名古屋駅へ、そこから在来線に乗り換えて一宮駅で下車。
 一宮市の名前は、尾張地方を治めた尾張氏の祖神・天火明命を祭神とする尾張国一之宮の真清田神社に由来します。
 私が、当地を訪れたのは15年ぶりでした。妙興寺蕎麦の「長浦」初代り伊藤徳義先生が教師をされていたころに「寺方蕎麦文書」を発見された妙興寺を、私見一目と訪れて以来です。妙興寺もまた足利将軍に縁の深い古刹ですが、 その訪問を機に、私が日本蕎麦史(寺方蕎麦+江戸蕎麦)の道を歩み始めた記念の地です。

 目指す「末木」は、駅を挟んで妙興寺と反対側に在ります。生憎の小雨の中をタクシーに乗って、10分ぐらい着きました。
  お店の玄関は大名屋敷か寺社か、と思えるような貫禄のある構えです。そしてもっと驚いたのはお店の建物が田んぼを囲むようにして建っていることです。全体で敷地千坪と聞いていましたが、その建物をぐるりと回って部屋に案内されますと、水を湛えた田んぼに二羽の合鴨が泳いでいるのがいい景色になっています。先ほど「生憎の雨」と言いましたが、とんでもありません。水田に落ちる雨粒で小さな水紋が描かれた景観は日本画のようです。むしろ小雨でよかったと皆さん、感動されるのでした。

 この田んぼは四代目が作り、以来苗の田植えから米の収穫まで、お店が行っているというのです。土を耕し、水に触れ、穀物を手にして、和食=稲→米→ご飯が実感できる懐石処というわけです。

 

 さて、お料理です。骨董的価値のある器で入れ替わり立ち替わり運ばれてきたのは七品、うち汁物はお吸い物とお味噌汁、それに甘味と、最後にお薄です。
 なかでも、
 《五月鱒の塩焼き》:魚も動物も骨が美味しいと言ったりしますが、魚の食べ方はさすがに皆さんお上手です。骨は手前片隅に寄せ、食べ終わったら懐紙で隠す。その懐紙を森村さんはちゃんと常々からお持ちだから、さすがです。福田先生は美味しく、きれいにいただこうと懐紙に包んでお持ち帰り。立つ鳥ならぬ泳ぐ魚は跡を濁さずの心です。
 《鮎の天婦羅》:もちろん鮎は骨まで食べる魚ですが、こんなに柔らかくて美味しい鮎は初めてです。忘れられない琵琶湖産の小鮎触感でした。
 《玉蜀黍ご飯に鰻と、味噌汁》:玉蜀黍ご飯というのはおそらく初めてかもしれないと思いながら、口にしますと玉蜀黍のあま味が舌に伝わります。ですから鰻の蒲焼はこのくらい小さい方がいいかもしれません。さらにはお味噌汁はやや強い名古屋味噌、これだとご飯も味噌汁も両方が互いを立て合っている一方、それでいてかなり個性的なご飯と味噌汁だなと感心しました。
 そして、窓ガラスと外に横たわる水田を眺めながら、このご飯もそこの田んぼで収穫したのだろうと、田んぼの一年が想い浮かぶようです。

 「末木」三代目が著した、先の『料理屋の「弁当と仕出し」』の一頁目には、今日ご一緒の福田浩先生が「日本一の庭」という題でこう書かれています。
 「日本料理の特徴は自然の景観を写すことにある。稲田は自然そのもので、四季の移ろいを巧まず演出する。春一面のレンゲ草、夏の青田、秋は黄金の波が打ち、冬の枯田に風情があり、世に名園名庭数あれど末木の庭ほど存在感のある庭を知らない。私は末木の料理の根元はこの稲田にありと確信している。