第332話 審査する方も審査されている

     

~ 「コーヒー・ブルース」をもう一曲♪ ~

【☆ ほし絵】

日本の学校では国語の時間に文章の書き方を教えてくれない。仮に教えたとしても、きちんと書けるほどではない。だいたいの人が自己流のお粗末な文章を書いている。
かくいう私も、そうだった。ところが、あることで恥ずかしい思いをしてから独学で身に付けようと思った。
どうしたかというと、「エッセイ募集」の案内を見つけては、作文し、投稿したのである。そのうちに入賞、優秀賞の栄に浴するようになった。それはだいたい平成3年ごろから7年ごろのことであったが、それから何とか文章らしきものを書けるようになった。

そんな私が、今は江戸ソバリエ認定講座の受講者の皆さまより提出されたレポートを毎年拝読し、審査させていいただいている。
そればかりか、蕎麦打ち競技においても審査するようになった。
いずれの審査においても、人様の思いをいっぱいに背負った作品をそう簡単に評価できるものではないということは分かっていても、あるていど決断しなければならないのは辛いところである。
そんなころ、ある蕎麦打ちの審査員が、「自分が良い点を差し上げた方が活躍しているのを見ると、ほっとする」とおっしゃった。
その逆もあって、自分の目がなかったかとも反省することもある。まさに「審査する方も審査されている」とはこのことである。

そんなわけで、「審査」ということに真摯に取組みたいと思って、昨年の夏は「池袋演劇祭」の審査員に挑んでみた。異なる世界の審査を試みてみたかったのである。さらに続いて、池袋の「シアターグリーン」という劇場でも審査員を募集していたので、応募して現在幾つかを観劇中である。
もうひとつは審査される身の体験を久振りにやってみようと思った。
たまたま『望星』という雑誌が創刊45周年記念として「あの日あの味」というエッセイを募集していた。さっそく応募した。昨年の夏だった。20年振りのチャレンジである。
結果が今年の1月に発表され、3月に表彰式をするとの連絡が来た。これにもほっとした。
拙文の内容は、コーヒーの淹れ方を教えてくれた「キャラバン」という珈琲店の亡き親父の思い出である。
そう。このブログで「コーヒー・ブルース」を読んで頂いている方は「おや!」と思われるであろう。そのオリジナルに当たるかもしれない。
話は変わるが、この駄作を書き上げたころ、ジャズの流れる蕎麦屋として知られる「無庵」の店主とお話した。そのとき店主は、「モダンジャズは人類の1960年代の財産だ」とおっしゃったことが胸に響いた。「そうか。あのころの ― 昭和60年代の珈琲も日本の財産ではないか」。そう思った私は、「コーヒー・ブルース」を書き始めた。
しかし連載15回にもなるというのにまだ終わっていない。原稿は毎回A4判ワープロで10枚ぐらいである。計算しているわけではないが、いつも10枚ぐらいで書けなくなる。これが私の想像力の限界なんだろう。そうやって書き綴って15回、したがって数えてはいないが、A4判150枚ぐらいになるだろうか? 私としては初の長編である。

「Rolling Stone」という言葉があるそうだけど、物事は必ず転がり続ける。だから、この経験が次にはどのように展開していくのだろうか?と楽しみである。

参考:第306話 緊急事態

〔江戸ソバリエ認定委員長、エッセイスト ☆ ほしひかる