第334話 蕎麦一年

     

蕎麦の実雑炊

蕎麦掻

江戸ソバリエ講師宮澤先生の「たかさご会」の新年会に誘われた。
ちょうどサンフランシスコから来日していた知人から「せっかく日本にいるから、蕎麦打ちを見たい、日本の蕎麦を食べたい」と頼まれていたので、同行した。蕎麦打ちの方は、かつてサンフランシスコにご一緒した「日本橋そばの会」の皆さんにお願し、蕎麦の方は、今宵の新年会にお誘いしたわけである。
新年会の参加者はほとんどが先生の蕎麦打教室の生徒さんたちであったが、お一人江戸ソバリエのKさんがいらっしゃった。
そうそう。その前に彼女に教えてもらいたいことがあった。彼女はサンフランシスコに移り住んで20年経つという日本人だ。
「20年前、外国に住み始めたころはどうだった?」
「そりゃもう、パニックよ。精神的におかしくなる人もいるわよ。幸い、私は日本人学生の友だちができたから、何とか乗り越えることができたのよ。それでいつのまにか20年経ったけど。」
「やっぱり、そうか!」
このブログに掲載している「コーヒー・ブルース」を読んでいただいている方はお分かりだろうけれど、主人公の恵子さんもエリザベスという親日派の友人がいたから、何とか乗り越えることができたと想定したのは間違いなかったと安堵したが、これは余談だ。何でも機会があったら、調べたり確認したりするのが私流なので、ご容赦願いたい。

さてさて、今宵の蕎麦会だが、最初は秋田八峰産、青森階上産、東京檜原村産の冷たい《十割蕎麦》と、蕎麦好きにとっては魅力的のある《蕎麦掻》であった。
最近のお蕎麦屋さんは、産地別で二種、三種と供する店もちらほら出てきたが、それでもまだそんなにチャンスはない。ましてや外国から来た人にとっては感激ものである。彼女も大喜びしていた。
この日のメインは鮟鱇鍋だった。鍋物は庶民の料理として人気があり、これも外国からの客にとっては楽しい料理である。
元は大きな帆立や鮑の貝殻を使っていたというから、サザエの壺焼なんかもルーツの一つだ。それが、だんだん土鍋や金属鍋が使われるようになって、具をたくさん入れるようになり、東京は濃い汁の寄せ鍋、関西はすき鍋が主流となっていった。
「釜飯」なども鍋料理の亜流であるが、いつか包装紙に峠を越えようとする髷の旅人が描かれた物を見たことあるが、釜飯の登場は関東大震災以降であるらしいから、それが本当だったら困った包装紙だ。
ともあれ、鍋物は簡単なものだから、男性でもできる料理だった。とはいっても、出汁や素材ぐらいは工夫して、皆で一つ鍋をつつく楽しみがあった。
ところが、最近は簡単というよりか、さらに横着になって出汁は市販の物や顆粒みたいな超簡単な物を使うようになり、しかもコンビニ販売のお一人様用の鍋になってきているという。
「和食」という名を冠しながらも、企業は伝統料理の心を破壊していると料理人は嘆いている。
当然ながら、今宵の席の鍋は本物である。出汁、素材ともに申し分ない。
それが証拠にこの後の《蕎麦の実雑炊》の作り方は、①蕎麦の実を20分水に浸けて、②20分弱火で茹でて、③1時間甘皮を洗い流すという手間である。
先生が食べている間に挨拶される。「うち(「たかさご」)の一年は、蕎麦の実雑炊で始まり、年越蕎麦で終わる」と。
家庭でも、お店でも毎年繰返して行う事がある。それが季節毎、地域毎になったのを「歳時記」という。歳時記=繰返すところから、人間のゆとりが生まれてくると思う。大切なことだ。
蕎麦通なら、一年の始まりと〆は自分流の蕎麦をルーチンとしたいものだ。
最後は、指名されて私が三三七拍子で〆て、散会した。

〔江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる