第355話 長崎、ちゃんぽん、皿うどん
=ちゃんぽん発祥の店「四海楼」=
北九州地方は、ちゃんぽん・皿うどん・ラーメンなどの中国系の麺が名物である。でも、それらは長崎、佐賀、熊本、福岡によって、多少味が違う。さらにちゃんぽん・皿うどんと、ラーメンは何か雰囲気も違うと思うが、なぜだろう?
【ちゃんぼん】
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用があって長崎市へ行ったので、お昼は「四海楼」でちゃんぽんを食べた。久し振りだった。全館「四海楼」の立派なビル、その5階の港が見える卓に着いた。
この店の創業者は陳平順。19歳のとき、中国福建省から一旗揚げようと長崎へやって来た。そして長崎在住の華僑の世話になりながら、行商を営んでいたが、その間に日清戦争が勃発、在留中国人にとっては辛い日々をおくったのだろう。それでも彼は頑張り抜き、明治32年(29歳)に「四海楼」を開業した。
今では日本の料理のひとつであるちゃんぽん・皿うどんは、この陳平順の考案だが、きっかけは貧乏な中国人留学生のために、腹一杯になってしかも栄養のある食べ物として考え出したという。
そのちゃんぽん麺は唐灰汁を入れる。ラーメンなどの中華麺は鹹水を使うが、鹹水は炭酸カリウムの濃度が高く、唐灰汁は炭酸ナトリウムの濃度が高い。
それにちゃんぽん麺は太打ちである。これは理解できる。一般に、太い麺は腹一杯になるため、細い麺は趣味の麺であるところから、太麺にしたのだろう。
具としては、モヤシなどの野菜類、季節ものの海産物や蒲鉾を入れる。モヤシは中国では太古より食べていたが、それを日本に伝えたのは日本黄檗宗の開祖隠元である。中国料理やちゃんぽんが伝わるにしたがってモヤシも日本全土へ広がった。
日本人は主食と副食を明快に分けているが、外国ではこのような分け方はあまりしない。せいぜい麺が主食で具が副食的な見方はするので、外国の麺類はたくさんの具が入っていて、確かにそれだけで腹一杯になる。この点がソーメンだ、うどんだけ、蕎麦だけを食べる日本人とやや傾向が違っている。
当初、平順はこれを「支那饂飩」と呼んでいたが、明治末ごろから誰言うともなく「ちゃんぽん」と言うようになったらしい。「ちゃんぽん」の語源は分からないが、平順の曾孫の陳優継氏は福建語の挨拶「吃飯了嗎?(シャポン?=ご飯は食べたか?)」からきたのではないかと述べている。
それから、皿うどんである。これも平順が考えた「汁ナシちゃんぽんの皿盛り」である。その後、現在のように「揚げ細麺の餡掛け」に変化していった。
先述の優継氏は、ちゃんぽんのルーツは福建料理「湯肉絲麺」、皿うどんルーツは「炒肉絲麺」だとしているが、親は中国人だけど長崎で生育したから、ちゃんぽん・皿うどんは日本料理になったというわけである。
店内を見回すと、家族連れの客ばかりである。そうだった。私も子供のころ母親が作ったちゃんぽんを家族で食べていた。具たくさんでちゃんぽん玉は何処でも売っていたから、家庭の昼食になりうるのである。
その点、皿うどんの揚げうどんは家庭ではできなかった。だから、皿うどんはお店で食べることが多かった。もちろん現代では皿うどん用の揚げうどんもインスタントモノを売っているから、家庭ではできるのだが。
それからもう一つのラーメンは具が少ないからお八つていどの食べ物であった。だから、中高時代、学校帰りに友だちと食べていた光景を思い出す。
ちゃんぽん・皿うどん・ラーメンの雰囲気が各々違うのは、その食光景が違っていたのである。
参考:「四海楼」ちゃんぽんミュージアム、陳優継『ちゃんぽんと長崎華僑』(長崎新聞新書)
【初祖シリーズ】323話「日本人初の西洋料理店」、233話「スパゲッテイ-ナポリタンの誕生」、29話「哀しみの六兵衛」、etc.
〔江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる〕