第127話 曲線の和学
☆巻物
少年のころ、忍者マンガが好きだった。
瞼を閉じて印を結び、心の中で真言を唱える。ト、何処からともなく煙が流れてきて、ドロンと忍者はいなくなる。時によって忍者は巻物を口に銜えて消えることもある。いずれも煙の中にはドロンという文字が大きく描かれていたが、なぜ「ドロン」と表現するのか、当時はこれっぽっちの疑問ももっていなかった。
とにかく、幼いひかる少年は、「あの巻物が欲しい。それには忍法が書かれているはずだ」と渇望するのであった。
長じて、「煙に巻く」という言葉を知ったとき、忍者マンガのドロンの場面を思い出したりしたものだった。
そのせいか今も、巻いてある掛軸や絵巻を見ると、何が描いてあるのだろうかと思ってつい紐解いて確認したくなる。
そいう点では額縁式の西洋絵画にはこうしたドキドキ感はないだろう。部屋に入れば壁に掛かった絵がイヤでも目に飛び込んでくる。掛軸や絵巻のように「見せる」、「しまう」という柔軟な機能をもたないからだ。
そういえば一頃、女性の肉体を賛美するとき「曲線美」という言葉が使われたことがあったが、それには視覚的な「曲線」と、感覚的な「柔らかい」という意味があった。そう。【巻く、曲げる ⇒ 柔軟】なのである。
これが東洋絵画と西洋絵画の相違である。私たちは、それをもっと認識しなくてはならないと思っている。それなのに、現代の絵画界において絵巻物はほぼ姿を消した。
そんなとき、友人の川俣静さん(江戸ソバリエ・ルシック)が蕎麦喰地蔵の民話を絵巻物にしたので、私は大きな拍手をおくったものだった。
☆曲線の食文化
しかしながら、絵画以外においては巻く文化はまだまだ生きている。
主要な場所には幕、簀垂が掛かっているし、頑張るときには鉢巻を巻き、襷を掛け、廻を締める。神域の入口には標縄がある。女性の着物はとにかく紐で身体を縛りまくる。
そう。【巻く ⇒ 縄、紐】は、日本文化の象徴となっているのである。
もっと顕著なのが食文化である。調理用の簀垂「巻きす」で作る巻鮨や伊達巻はともかくとして、粉を縄、紐状の食べ物にした麺類はアジア(日本)ならではの食べ物である。私は、こうした文化を背景にした麺文化を「曲線の食文化」と別称している。
そういえば天平年間の正倉院文書に「麦縄」という言葉が残っている。麺類を差した言葉であるが、いかにも日本語的な表現だと思う。
ついでながら、「蕎麦」「葛切」「切麦」は食材名から、「春雨」はシャレからの命名だから日本語的でよく分かるが、「ソーメン」「ウドン」という言葉から本来の意味が伝わってこない。おそらく、後世の「ラーメン」と同じく外来語からの転用だろう。
ともあれ、われわれ日本人は日本刀という極めて優れた刃物を創造したため、〝切る〟ということにおいてかなり神経質になったということを度々私は述べてきた。
そして日本の庖丁師が潜在的に【巻く ⇒ 縄状、紐状】というイメージをいだいていたとしたら、麺先進国の中国に倣わずとも、「切麦」、「蕎麦切」の誕生は自然のことだったろう。
余談だが、昭和の初めごろ目黒雅叙園で世界初の中国料理用回転テーブルが作られたり、戦後の大阪で回転寿司が考え出されたりしたのも、グルグル巻いたりする文化と無縁ではなかろう。
〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる〕