食のイベント(5) 新宿内藤とうがらしの話とその活動(10/8、10/10)

      執筆者:編集部2

私の友人たちが集うサロン(15年前設立すでに166回目を迎える)に招かれ、講演を行った。私たち(スローフード江戸東京)が3年前から着手している新宿内藤とうがらし復活運動の話。

江戸時代初期、特に家康の江戸づくりの初めの施策は水(川、運河)を利用した街づくりに着手したことで、その後、小名木川、新川、堅川、大横川などの運河が塩や食料、生活物資を周辺地から江戸の中に運ぶ大きな役割をしていた。

各大名は屋敷の中に野菜畑をつくり(幕府も自営の御前菜畑を設けた)、自領から農民を呼び、野菜の種を取り寄せ、郷土の野菜づくりに励んだと当時の書物に記述されている。

幕府も奨励したので、農民も野菜をつくり、それを販売する権利をもらい、近所の朝市や振り売り、また仲介人を通じて中央の「やっちゃ場」へ出荷するなど多いに野菜づくりに励んだ。

米を中心の江戸の食生活は栄養価にかたより、「かっけ」がはやっていたおりで、この野菜ブームはその改善にもつながった。

当時この野菜ブームの中、内藤家の下屋敷(現在の新宿御苑)で盛んにつくられたとうがらし(八ツ房系で内藤とうがらしと呼ばれていた)は、江戸そばブームにのって、一味、七味として薬味ふりかけとして消費された。評判にのって新宿、大久保、中野など甲州街道の西側の農家がこぞってとうがらしの栽培を行い、内藤とうがらしが地域ブランドになっていった。

その当時のとうがらし文化を復活させようと歴史をひもとき、八ツ房系のとうがらしのタネをさがし、栽培させ、新宿四谷地区の人と共同で推進を行っている。

今年は2月にタネをまき、苗を5月に地区希望者に配布し、商店街、飲食店、学校、ひろば等で栽培している。

四谷地区協議会では八ツ房とうがらしを粉にし、七味をつくった。この活動は、読売新聞(10/8)、朝日新聞(10/9)の都民版に大きく掲載された。10月10日には四谷ひろばでとうがらし口上実演のもと販売開始した。