第101話 温感食
最近のテレビや週刊誌を見ていると、わが国では今「冷やしグルメ」が流行っているとのこと。
いわく、〔しじみ冷かけ〕〔冷やしとろみ酸辣麺〕〔四川風新冷麺〕〔冷やしお好み焼〕〔ひんやり焼きド〕〔冷やし野菜カレー〕〔冷やしカツ丼〕〔氷結鶏〕、〔雪見大福〕〔冷やしてメロン〕etc.
解説によれば、猛暑、節電によって人が涼しさを求めてのことだと言い、そういう人たちを「冷ター」と呼ぶ、とあった。
しかし・・・・・・、私に言わせれば、これは特に「節電によって」ということではない。あるとすれば、「節電に乗じて」、あるいは「節電のこの機会に」ということであろう。
だいたいにおいて日本人は昔から冷たい物が好きであった。水物では、冷たい麦茶に始まり、それを真似て烏龍茶も冷たくして飲むようになった。ビールはコップまで冷蔵庫でギンギンに冷やしておけば、ビールファンは目尻を下げて喜ぶ。夏の冷やした真桑瓜は古い時代から人気物、それが江戸時代には冷たい井戸水で冷やした西瓜に代わった。
今さら〔冷麺〕なんていわなくても、室町時代のわが国には〔冷麦〕というものがあった。信長の時代に来日した宣教師ルイス・フロイスも「わわれわれ(ポルトガル人)は麺(パスタ)を温かくして食べるが、日本人は麺を冷たい水に漬けて食べる」と記録している。
そんなことを思っているとき、過日も「夏蕎麦を味わう集い」(主催:深大寺一味会)というのが催された。
深大寺昌樂院において、豊後高田産(大分県)、三芳産(埼玉県)、タスマニア産(オセアニア州)の三種類の夏蕎麦を啜ろうという企画だ。お客様はご招待の230名だったが、東日本大震災のチャリティとして開かれたので、参加料3000円が義援金とされ、そのかわりにお土産というか、参加記念品として深大寺窯の特製蕎麦猪口がいただけるということになった。蕎麦打ちボランティアには、江戸ソバリエ石臼の会の皆さんが大活躍した。
どの世界にもオピニオンリーダーというものはいる。蕎麦の世界では蕎麦好きと自認する人たちがそうだろう。彼らは自分でも蕎麦を打ち、蘊蓄にも詳しい。そういう人たちにとっては、産地が異なる蕎麦を一度の味わうという企画は嬉しい。だから、江戸ソバリエ関係者は蕎麦打ちボランティアの方を含めて40名以上の方が参加された。
それはそれとして、ここで現代の年間の蕎麦粉の消費量というのを見てみよう。
1月 1650 2月 1528 3月 1960 4月 1995 5月 2124
6月 2221 7月 2394 8月 2290 9月 1762 10月 1658
11月 1695 12月 3386
計 24663 月平均2055 (単位t) (2006年農水省消費流通課データ)
断トツは12月であるが、やはり次は夏季である。理由は分かる。12月は年越蕎麦、そして暑い夏季にはざる蕎麦を初めとした冷たい食べ物を日本人がいかに希望しているか、ということは先に述べた通りである。最近、特に冷かけが流行っているのも「夏季 ⇒ 冷たい物」という構図が、さらに節電に乗って強まったものと思えば理解できる。
一方の年越蕎麦のことを考えれば慣習の力の大きさに驚く。何しろ最低の1月の倍の消費である。
いずれにしろ、われわれは、夏季になれば涼感を求めて「ざる蕎麦だ!」、暮になれば温もりを求めて「年越蕎麦だ!」、と〝温度〟を基軸とした食感を楽しんでいる。
「熱いうちに、冷たいうち」にというのが、ご馳走だ、お持成しだというわけである。
参考:ルイス・フロイス『ヨーロッパ文化と日本文化』(岩波文庫)、深大寺に関する今までの「蕎麦談義」第48、9、7話、
〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる〕