<コンビ二創業戦記・別伝>「DCVS回想録」第28回
2017/01/24
「懐かしのローソン東富士ゲストハウス時代(1994~2002)」(その9)
<その他のことども>(その2)
「ゲストハウス・スタッフとの交流」
ローソン東富士ゲストハウスは、私が全体を統括する館長の立場にあったが、実務的には運営管理する支配人の下に、管理スタッフ、研修を主管するオーナー研修担当チームと社員研修担当チームがあり、宿泊・レストラン部門を担当する(株)ホテル・セントラーザ社、更に館内清掃・警備・保守メンテナンスを担当する{株}マックス・トレード社という四つの機能によって構成されていた。
ゲストハウス開設の目的である「ロ―ソン商人道の総本山」たる使命を果たすには、これら役割りの異なる集団の融合と一体化を図ることが不可欠であった。
館内報「TOPーG](トピツクス・オブ・ザ・ピープル・ザ・ゲストハウス)はそのために、1995年10月、みんなの手創り共同制作で創刊したものである。
さらに、スタッフ全員の懇親を深めるため、懇親会や歓送迎会を必要に応じて開催した。
幾つか懐かしい写真があるので紹介しておきたい。
<歓送迎会等の写真>
私の手元には、「TOPーG]が創刊第一号から、2002年5月にゲストハウスを離れるまでの第74号が揃っている。
そこには、その時々のゲストハウス方針や各担当スタッフの人事情報、人物照会、投稿文や行事、出来事などのニュースが書かれていて、つい昨日のことのように身近に思い出される。
その中から、ゲストハウスのトピツクスを、毎年の「10大ニュース」風に抜き出すと次のようになる。
「館内報に見るゲストハウスのトピツクス」
ーー1995年(平成7年)--
①・館内報創刊、
②・開館1周年記念納涼懇親会開催、
③・富士5合目星空観察ツアー実施、
④・断水2回発生、
⑤・第1回防災訓練、
⑥・台風12号襲来、
⑦・館内清掃高評価さる
⑧・新卒入社式ゲストハウスで初実施、
⑨・従業員食事改善、
⑩・夏休みリゾート利用店舗増加
ーー1996年(平成8年)ーー
①・「3・6」大地震で被害を受ける、
②・社員教育担当新設、
③・バーべキュー大会開催、
④・O-057で全員検便、
⑤.従食が仕出し弁当となる、
⑥・リゾート用メニューが好評、
⑦・裏口天井に燕が巣を作る、
⑧・2月大雪で雪かきに大苦労、
⑨・フロントの24時間対応始まる、
⑩・ボーリング大会実施
ーー1997年(平成9年)--
①・深夜火災報知機誤報、消防車来館事件発生、
②・燕の巣三世帯となる、
③・防災訓練実施、
④・BMCⅡ開講、
⑤・新卒研修本格受け入れ開始、
⑥・庭園の紅葉が好評、
⑦・ゲストハウスの丸適マーク取得、
⑧・全員検便検査
⑨・秋のバーベキュー大会開催、
⑩・お正月和太鼓導入
ーー1998年(平成10年)--
①新年早々大雪に埋もれ大騒ぎ、雪かきに大苦労する、
②・この夏、梅雨、大雨、台風が続き、雨漏り補修工事に大童
③・燕の巣、更に増える、
④・定期入社社員・フォローアツプ研修で最大宿泊となる。
⑤・ゲストハウスで初のカップル二組誕生(山名さん&北川さん、山口さん&北野さん)、
⑥・定期防災訓練実施、
⑦・調理部にニューフェイス入社、
⑧・夏メニュー「ミニ懐石」と「海鮮しゃぶしゃぶコース」が大好評
⑨・周辺の美化運動実施、
⑩・ホテル消耗品の大幅改良でゴミ減少
<館内報『TOP-G』・1996年12月号・97年12月号>
ーー1999年(平成11年)--
この年、「ダイエー・ホ-クス」は、王監督のもとパリーグ優勝を果たし、日本シリーズで中日ドラゴンズを4勝1敗で破り、念願の日本一の座についた記念すべき年であった。
これに因んでゲストハウスでは、「ゲストハウス・ギネス記録」を発表した。
①・加盟店最高リゾート利用回数は、京王長沼店・中村オーナーの13回
②・加盟店一回あたり最大宿泊人数は、菅島信和店大角オーナーの29名
③・最北地よりのリゾート加盟店オーナーは、旭川5条通り10丁目店の宮下オーナー
④・最南地よりのリゾート加盟店オーナーは、都城鷹尾4丁目店の岩満オーナー
ーー2000年(平成12年)--
①・新卒研修156名実施、
②・全国酒ベンダー・蔵元・酒造メーカー会議」開催、
③・庭園で「恐怖の蜂の巣」駆除騒ぎ発生、
④・お正月餅つき大会実施、
⑤・防犯訓練実施
ーー2001年(平成13年)--
①・21世紀の幕開け・お正月餅つき大会開催、
②・フレツシャーズ147名研修実施、
③・記録的大雪で数日交通途絶となる、
④・防犯訓練実施、
⑤健康診断実施、
ー2002年(平成14年)上期ーー
①・お正月地元「用沢神楽保存会」による神楽舞い奉納、
②・除雪車導入、
③・98年・99年入社の社員がトレーナーに登用される
④・この年、人事異動多し
とあり、懐かしい記憶が蘇るのである。
また、私は「富士百景」と称して、自己流の俳句を舘内報の毎号に、合計で300句ほど発表している。
苦心惨憺した割には出来はよくないが、その時々の自分の心境が思いだされて、感慨深いものがある。
次号では、その『富士百景句集』などを紹介したいと思う。
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