第366話 上村邸の蕎麦懐石

      2016/07/21  

15中国陶器218ベンチャロン 17蕎麦茶碗母の七回忌を済ませたころ、お茶(裏千家)を教えておられる上村さん(江戸ソバリエ)から「自宅で七夕の茶会を催しますので来ませんか」とお誘い頂いた。
お茶と蕎麦は、料理史から見ても、石臼を介した兄弟みたいなものと考えている私は、これまで茶会を材にした小説を書いたことがある。もちろん駄作であることは否めないが、少なくとも中世の料理文化を考えることではずいぶん役立ったように思う。そんなだから、お誘いに一も二もなく「伺います」とご返事申し上げた。
すぐに上村さんから筆で書いた正式なお手紙が届いた。それには下車すべき駅から上村邸までの道順、そして「もしよかったらお迎えに上がる」とも加えてあり、相客は同じく江戸ソバリエの松田さん海さんであることも伺った。
亡き母も裏千家を教えていたが、残念ながら子である私たち兄妹は誰もそれを受け継いでいない。だから茶の作法はまったく知らない。ただ、こうしたお手紙を前もってもらったりすると、上村さんの「客の心になりて亭主せよ」の心配りを感じられる。

その日、ご案内通り駅までお迎え頂き、打ち水の代わりのように降った小雨の中、上村邸におじゃまする。そしてあらためて上村宗紀先生とお弟子さんたちからご挨拶を頂いた。
待合と茶室は共に、夏向きの御簾戸になっている。湿度の高い日本では古来より簾を利用することは多く、江戸時代には「江戸簾」の職人たちが活躍していたという。しかし、これは季節物である。おそらく夏が終わると襖に取り替えられるのだろう。上村さんの気遣いはそればかりではない。私のために男性用の、しかも今年の干支に縁のある御扇子と、懐紙も準備されていた。
さっそく、茶事が「シンギングボール」で始まったが、鳴物としての銅鑼や鐘や板木は聞いたことがあるが、これには驚いた。チベット仏教で使用するというが、実はある人から、小さめの鋳物の「シンギング鐘」をチベット土産にもらったことがあった。ところが、上村さんのそれは大きな銅のボールであったから、深い唸りが遠くまで響くようであった。より余韻のある「鳴物」だから、充分に銅鑼の代わりになっている。
客は、私たちと、宗紀先生お知合いの茶道具屋のご主人の、四名。
席に入ると、土風炉の火を熾される。火の匂いがフッと鼻を掠め、パチ・パチと微かな音が耳にとどいた。火の匂いも音も懐かしい。
さっそくお蕎麦が出た。もちろん上村さんが打ったお蕎麦だ。
一般論として「茶懐石の始まりはお寺の精進料理から」といって間違いないだろう。そして私たちは「寺方の料理から蕎麦だけが独立して、江戸蕎麦が江戸の町で完成した」と見ているから、茶会でのお蕎麦を口にすることができるのは感動的だ。そんな風だから「お蕎麦さへ頂ければそれでいい」と思いたくなるところだが、後に続くお献立が心尽くしにあふれていた。
銘酒、お豆腐、お吸物、茄子、鮎、鮑、牛肉、香の物・・・・・・と美味しいお料理が続く。とくに、鱧のお吸い物はいい味だったし、手間のかかった鮑は最高に美味しかった。
お干菓子は、七夕らしく天に星が煌めき、地に朝顔が咲く飾付だった。砂糖菓子で作られた小さな☆が満天に散りばめられているのである。
そのお干菓子もお蕎麦もお料理もすべて上村さんのお手製だ。
お干菓子の後は濃茶と薄茶。お濃茶は、「暁天」という銘のある《蕎麦茶碗》で頂いた。《蕎麦茶碗》というのは初めて聞いたが、道具屋のご主人によると、高麗茶碗の一種らしい。名前の由来ははっきりしないが、色合いが蕎麦に似ているからともいわれているという。全体の形は、平らめで、高台は大きく低め、高台から腰の部分が張り出して段になり、口縁にかけてゆったりおおらかに開く姿だ。
《蕎麦茶碗》でお薄を・・・、これも私たち江戸ソバリエのための心遣いだろう。
続くお薄は、シャム(タイ)の五彩陶器「ベンチャロン」で立てられた。18~19世紀の物だ。
茶道界では古器への戒めも説いているが、やはり古器や不完全な物に価値を見出したのは茶道の功績であり、日本美の精神であると思う。
それにしても、お道具選定から料理まで、徹夜にちかい準備が必要だったことであろう。その上に、始まりの「シンギングボール」といい、「ベンチャロン」といい、上村さんはかなり個性的な方だ。そういう方が亭主する蕎麦懐石の会はわくわくするほどに素晴らしい。が、内心ではちょっぴり申訳ないような気もするが、ご好意に甘えて楽しませていただいた。

参考:【江戸ソバリエ脳学レポート最優秀賞】上村紀子「月をテーマに秋の一日を蕎麦懐石で、正午の茶事を楽しみました」
http://www.edosobalier-kyokai.jp/pdf/2017nougaku_uemura.pdf
ほしひかる著「今川館の茶の湯の会」(『日本そば新聞』平成23年2月~4月号)、
ほしひかる筆「小説 茶の本」(『日本そば新聞』平成28年2月~7月号)、

〔文:ほしひかる ☆ 写真:松田綾子さん・海緑風さん〕