<コンビ二創業戦記・別伝>「DCVS回想録」第29回
2017/01/24
『懐かしのローソン東富士ゲストハウス時代(1994~2002)』(その10)
<その他のことども>(その3)
「自己流俳句・『富士百景』より」
私が東富士ゲストハウス館内報に発表した自分なりの俳句は、約350句にのぼるが、そのうち約300句が富士山に因むものである。
ゲストハウスの所在する富士山麓小山町の須走まで、在勤した8年間の間に800回以上通っている。
その行き返りに、三島駅から車で、あるいは沼津から御殿場線で通う道すがら、いつの日も富士山を仰ぎ、富士の姿を探し求めたものである。
天気が良ければ勿論のこと、たとえ天気が悪く富士山が見えていなくても、「そこに富士山が実在している」という圧倒的な質量感をひしひしと感じることができた。
富士山は、まことに不思議な山である。
東京から遠望する富士も、季節や天候や時刻、見る場所によって印象が大いに異なるけれども、ましてや疾奔する新幹線から、特に、新横浜から小田原にかけて仄かに見える富士は、丹沢山塊や箱根山系の山並の風景が移り変わるにつれて、その山容を瞬時に変貌させていく。
三島駅からタクシーに乗り、国道246号線を裾野、御殿場、やがて箱根裏街道と走り登り、須走のゲストハウスに至る道程の中で、その時々に間近に仰ぐ富士もまた、格別であった。
沼津から御殿場線で行く場合には、単線運転の通勤通学電車であるから、大岡、下土狩、長泉、裾野、岩波、富士岡、御殿場へと、各駅停車でゆっくりと進んで行く。
その沿線は、穏やかな田園風景がほど良く残り、また富士山に向けて開けた地形が多いために、春夏秋冬、季節の移り変わりにつれて顕れる霊峰富士の神秘性に、心が洗われるような気がしたものである。
館内報『TOP-G] では、第4号(1996年1月号)から第74号(2002年5月号)まで71回掲載している。その中から、自分なりに選抜して紹介したいと思う。
<富士山の遠景・近景>
『富士百景の内より』
ーー1996年(平成8年)--
《 この年の漢字は『食』。
0157食中毒事件が多発。寅さん死去。
貴乃花全盛期。橋本内閣成立。
ローソン初めて海外進出、中国上海へ出店。
6000号店達成。》
『初春や 富士茜色に 明けていく』
『冬富士の 怒るがごとく 砲音響く』
『逆さ富士、映して湖の 水温む』
『春霞 富士一幅の 墨絵かな』
『消え残る 雪にも富士の 春を見る』
『花冷えや 化粧し直す 富嶽かな』
『鯉のぼり 連れ立ち富士へ 登りけり』
『梅雨雲に 隠れて富士の おわします』
『岩肌も、樹海も燃える 富士の夏』
『七夕や 富士に寄り添う 天の川』
『雲疾し 富士も忘れぬ 敗戦忌』
『蒼天に 冠雪の富士 屹立す』
『寂光の 寒月照らす 冬至富士』
ーー1997年(平成9年)--
《 この年の漢字は『倒』。
山一、拓銀など大型倒産続発。
秋田・長野新幹線開通。
ペルー日本大使館人質事件、酒鬼薔薇事件。
「LOPPI」導入開始。
ローソン沖縄出店して、日本初のナショナルチェーンとなる。》
『初春や 浩然の気満つ 富士が嶺』
『雪の華 一夜咲きして 散りにけり』
『陽だまりに 猫の丸まる 富士の里』
『広重の 描きしままの 春の富士』
『お彼岸や 墓参に代えて 富士拝む』
『夜もすがら 富士ヶ嶺照らす 春の月』
『終戦日 かの日の富士を 思いけり』
『人知れず 富士に手合わす 盆休み』
『願い事 富士に祈れる 彼岸かな』
『霊峰や 立冬の月 冴えわたる』
<富士山の近景・遠景>
ーー1998年(平成10年)ーー
《 この年の漢字は『毒』。
和歌山カレー事件。
賃金削減が始まり、総中流時代の終わりへ。
自殺者3万人時代到来。
明石海峡大橋開通。小渕内閣発足。
ローソン店頭に銀行ATM導入開始。
12月2日、母・鈴木二三子永眠す。》
『冬麗の 富嶽は不二の 名画かな』
『雪の度 霊気いや増す 富嶽かな』
『富士もまた 永久に忘れじ 空襲忌』
『桜咲く 今日も商人の 道を説く』
『富士桜 散り尽くしての 若葉かな』
『一面の 田水鏡に 映る富士』
『蝉時雨 富士陽光の 中にあり』
『赤とんぼ 群れ飛ぶ富士の 裾野かな』
『富士という 拠り所あり 秋深む』
『空の蒼 富士の白雪 照る紅葉』
ーー1999年(平成11年)ーー
《 この年の漢字は『末』。
日銀ゼロ金利始まる。
警察不祥事多発。
ローソン7000号店。福岡ダイエー・ホークス日本一となる。》
『寒椿 一輪落ちて 母逝きぬ』
『木々枯れて 雪の華咲く 裾野かな』
『わだかまり 溶きたく仰ぐ 春の富士』
『往く人や 来る人もあり 富士の春』
『菜の花や 富士の威厳を 華やかに』
『商人の 種を植えつつ 富士の四季』
『あれもこれも 過ぎにしことぞ 霧の富士』
『幾坂の 艱難ありて ご来光』
『満月や 登山の灯り 点滅す』
『火祭りの 火燃え尽きて 夏終る』
『鷹飛びぬ 日の本一の 富士の山』
<富士山の遠景・近景>
ーー2000年(平成12年)--
《 この年の漢字は「金」。
ミレニアムブーム。シドニーオリンピツクで金メダル増える。
商品事故や医療ミスが多発、児童虐待、少年犯罪が増加。
森内閣誕生。
LAWSON’HISTORY『挑戦』刊行。
2月2日、恩師・藻利重隆一橋大学名誉教授逝去。》
『2000年 いざ生きめやも 富士のごと』
『富士嵐 吹き荒れる日なり 恩師逝く』
『春の富士 仰ぎて吾れに 大志あり』
『霧深し 霊峰無きが 如くなり』
『群桜の 花吹雪散る 富士ヶ原』
『父の日や 借景の富士に 花飾る』
『陽炎の なかを富嶽も 揺らぎおり』
『終戦日 満月富士に かかりけり』
『初雪の ニュースを残暑の 中で聞く』
『名月に 端坐している 富嶽かな』
『逆さ富士 揺れる湖畔を 紅葉狩る』
ーー2001年(平成13年)--
《 この年の漢字は『戦』。
『9・11』連続テロで、世界の空気一変した年。
小泉内閣誕生。
ローソン東証一部上場。ダイエーグループから三菱グループへ。》
『寒富士や 世の盛衰に 巍然たり』
『松過ぎて はや普段着の 富士となり』
『雪一色 聖山姿を 正しゅうす』
『幾重にも 伊豆の山並 春霞』
『花吹雪 夢か現か 富士に舞う』
『青空を 富士へ跳ねるか 鯉幟り』
『長梅雨に しとど富嶽の 重さかな』
『ジグザグに 灯の登りゆく 闇夜富士』
『原爆忌 富士にも過ぎし 月日あり』
『世界テロ 富士吾れ共に 震撼す』
『富士神は 何処におわす 神無月』
『赤富士や 動乱の年 暮れんとす』
<富士山の近景・遠景>
ーー2002年(平成14年)--
《 この年の漢字は『帰』。
小泉首相北朝鮮訪問で、拉致被害者5人帰国。
欧州でユーロ流通開始。
銀行統合が一段と進む。経団連と同友会が統合。
5月、ゲストハウスを離任する。》
『月冴ゆる 裾野の灯り 人恋し』
『富嶽にも 三寒四温 陽の光』
『春おぼろ 富士山容を 優さしゅうす』
『花冷えに 富嶽化粧を 濃くしたり』
『富士桜 浮世の風に 散りにけり』
このようにして振り返って見ると、それぞれの句の背景に広がる風景や人物の面影、そしてその時々の時代状況が、今更ながら、鮮やかに思い浮かんでくる。
次号で、その他のことどもを更に思い返して、「ゲストハウスに関わる稿」を閉じたいと思う。
(以下次号)
<7月2日・追記>
ついに富士山が、世界文化遺産に登録されることが決定した。
日本人みんなの魂の拠り所のような富士山が、いまや世界で公認されたのである。
語りつくせない富士山の魅力と、自然と共生する日本人の思想を、より多くの世界の人々に知って貰いたいと思う。
環境保全など多くの課題を、解決していくさらなる努力が、要請されよう。
ともあれ、これほど嬉しい事はない。
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