第178話 「太陽は燃えている」

     

蕎麦、文学、音楽-2

 両国の「ほそ川」で芸術的な蕎麦を啜っていたところ、いきなり映画「ゴッドファーザー」のテーマ音楽が部屋に流れた。私をはじめお客さんたちはみんな、驚いてそちらの方を見た。すると、一人の男性客が携帯用のパソコンを操作していた。曲はそこから発していたのであるが、男は「ちょっと指が滑りまして、すみません」という顔をして、元に戻した。だから、10-20秒ぐらいで音は消えた。曲が懐かしいものだったから、皆さんは嫌な表情はしなかった。むしろ私なんかもっと聞きたいくらいだった。

  『ゴッドファーザー』はマリオ・プーゾの小説(1969年)である。それを72年にフランシス・フォード・コッポラ監督が映画化し、大ヒットした。続いて、74年「ゴッドファーザーⅡ」、90年「ゴッドファーザーⅢ」も公開された。ロバート・デ・ニーロ、マーロン・ブランド、アル・パチーノなどが熱演し、映画史に強い影響を与えた作品となった。

 先刻の曲は、「ゴッドファーザーⅢ」の中で、マイケル・コルレオーネの長男アンソニーが「シチリアに伝わる民謡だ」 (実際はニーノ・ロータ作曲) と言って歌った「 Brucia La Terra 」 (太陽は燃えている)であった。

 ゴッドファーザーであるマイケル・コルレオーネは、妻子を誰よりも深く愛していた。であるのに、抗争の毎日。ついに妻子はマイケルの元を去った。数年後、成人した息子とやっと仲直りした父、その父のために息子が唄うのが「太陽は燃えている」であった。その哀愁をおびた歌に父マイケルは目頭を押さえながら、最初の妻とシチリアで結婚したころの若き日を想い出す。そして、息子の歌を一緒に聞いている愛娘は、自分の後継者と恋に落ちようとしている。修羅場をくぐってきたゴッドファーザーは不安でたまらない。「敵は、一番愛する者を襲ってくる」ことが分かっていたからだ。父マイケルは娘を守るために、ゴッドファーザーの椅子を手放す。しかし、遅かった。またしても破滅的な悲劇が家族を襲う・・・・・・。

 「ゴッドファーザー」のテーマ曲はⅠ.Ⅱ.Ⅲを通し、BGMとして流れる。しかし、そのどれよりも物語の山場で息子が父に贈ったシチリア民謡調の「太陽は燃えている」が心を揺さぶる。この唄があったから「Ⅲ」は成功したともいえる。だからといって、それを日本語で歌われると雰囲気が壊れてしまう。シチリア民謡調だから、いいのだ。

 そのうえ、このシチリアの歌は不思議に「ほそ川」の《ざる蕎麦》、いや「ほそ川」のあの独特の壁と合っていた。ただ残念ながら、この主題歌はレコードやCDでは販売されていない。聞きたいときは映画を観るしかない。幻の曲にもひとしい。

 そういえば、若いころにかわいがっていた後輩に、この歌を十八番としている男がいた。映画(Ⅰ)を見た彼は心酔して、飲めばこの歌をうたっていた。

 成功した映画音楽というのは、物語が伴っているだけにいつ耳にしても素晴らしいものだ。歌う彼の脳裏には、映画のシーンが映っていたのであろう。

 だが、「その口から出る言葉が日本語では様にならない、演歌に聞こえる」と言ったら、「せっかく酔いしれているのに」とむくれていた。

 ところで、アメリカにおける成功者はカリフォルニアのナパ・バレーでワイナリーを所有することが、ひとつのステイタスだという。

 【ナパ、オーパス・ワンにて

コッポラ監督もナパに広大なワイナリーを二つもった。コッポラ・ワイナリーとルビコン・ワイナリーだ。私も訪ねたことがあるが、舘にはゴッドファーザーの机が置いてあった。

コッポラ・ワイナリー、ルビコン・ワイナリーにて

それを見ながら、思った。日本における成功者は広大な蕎麦畠を持つ・・・、というわけにはいかないか! と。

 参考:マリオ・プーゾ著『ゴッドファーザー』(ハヤカワ文庫)、フランシス・フォード・コッポラ監督「ゴッドファーザー」、「ゴッドファーザーⅡ」、「ゴッドファーザーⅢ」、

 〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる