第427話 鎮魂の《とろそば》
~ おつかれさま、巴町砂場 ~
江戸で一、二の老舗蕎麦店である「巴町砂場」から、「平成29年6月末日をもって閉店する」という葉書を頂いた。
「巴町」の14代目の故・萩原長昭様には大変お世話になったし、また15代目の萩原昭様にも平成20年に「江戸ソバリエ・シンポジューム」にご登板願ったりしたので、同じく話を漏れ聞いたという仲間と一緒にお店に伺った。
とはいっても、すでにご決心されているのを小生なんかが何やら申上げるわけにはいかない。黙って座って、名物の《趣味のとろそば》を頂くことにした。
《趣味の・・・》と冠が付いているところが、老舗の小粋さを感じるが、それはヤマトイモを擦り鉢でよく擦り、それと同量ていどの汁と、卵黄を入れた汁に付けてお蕎麦を楽しむものである。
今日の私たちは口数少なく、店内を慈しむように見まわしていた。
それはそうだろう。蕎麦ファンにとって、老舗の閉店ほど寂しく惜しいものはない。
昔、頂いた故・長昭様の著書『蕎麦屋の湯筒』(平成11年刊)には、「巴町砂場」の由来をこう述べられていた。
大坂の陣が起こった頃、機をみるに敏なる和泉屋の二代目か、三代目が、徳川家ゆかりの武将について、浪花から江戸にやってきた。当初は虎ノ御門の真向いで、「久保町砂場」として商っていた。ところが天保十年(1839年)、界隈に御用屋敷が建てられることになり、当地に引っ越した。そして明治になって、辺りの住所名が変更になったので「巴町砂場」と改名。私は「浪花の和泉屋」から数えて14代目に当たるだろうとも書いてあった。
その長昭さんは平成18年に亡くなられた。
人間は、必ず死ぬ。
物事には、始まりと終りがある。
存在するモノは、いつかは消滅する。
だから、悲しい、寂しい、虚しい。
先日、ある人が私に云った。
「お蕎麦は鎮魂の食べ物のように思うときがある。」
なかなか重い言葉である。
私たちはお店の前で写真を撮って、「巴町砂場」を後にした。
〔文・写真 ☆ エッセイスト・江戸ソバリエ認定委員長 ほしひかる〕