第430話 最初の朝ごはんと、最後の晩餐
「最後の晩餐」という名画がある。イエス・キリストの生涯の、最後に関わる伝説だから、多くの画家たちが描いている。
私もレプリカを持っているが、「最後の」というならやはり、一日の終わりの「晩餐」が相応しい。「最後の朝飯」とか「最後の昼食」では、様にならない。
また、「最後の晩餐」があるのなら、人間には「最初の朝ごはん」ということがあるだろう。ただし、これも「最初の昼飯」とか、「最初の夕食」ではピンとこない。やはり一日の始まりである「朝ごはん」がいい。
なら、そんな絵はないものだろうか?
・・・・・・それがある。聖徳太子ゆかりの大阪・四天王寺にである。
現代ビルが立ち並ぶ大阪市や東京都内は、現存する歴史遺産は多くない。大阪市ならばせいぜい四天王寺と大坂城ぐらいだろう。だから、大阪を歴史散歩する人はあまりいないかもしれないが、ソバリエなら最低「砂場伝説」をもつ大阪城と、「最初の朝ごはん」に関連する四天王寺ぐらいおさえていてもいいと思う。
というわけで、たまたま大阪に行く機会があったので、四天王寺に行ってみた。
炎天下、広く長い参道を歩く。今日はシャッターが下りている店が多いが、祭事にはさぞかし賑わうだろう。
ただ残念なことに、参道の途中、大きい通りが二本も横切っていた。景観がよくない。
そういえば、博多の承天寺もそうだった。わが国最初の禅寺といわれる由緒ある寺だというのに、境内のド真ン中を車道が貫通し、敷地は二つに分断されているのである。浦和でもそういう寺を見かけたことがあるが、人の歩く道より車道が大事だという行政の方針なんだろう。日本の主要産業である車の力は強しである。
さて、「最初の朝ごはん」って何だ?
もったいぶらずに云えば、ご覧の絵馬がそれであると思う。
そう。人間最初の食事《母乳》を描いた絵馬である。
本当は「子育」祈願の絵馬であるから、昔は何処の寺社でも見られたという。その場合、《母乳》が一番分かりやすかったので、こういう絵になったのである。
現に、古い絵馬の本を見ると、昔は全国あちこちの寺社にあったというこの類の《母乳》の絵馬がたくさん紹介されている。
それが今では、この四天王寺ぐらいしか見かけない。当寺だけが伝統を守ってきたのである。
そこが面白いと思ってやって来たが、見ていると「子育」ということもあろうが、やはり「人間、最初の朝ごはん」と名付けたくなるような絵である。
それにしても、絵馬の絵はマンガ的で俗っぽい。そもそも絵馬というのが、民俗宗教のツール、いわば無銘の絵であるから、どうしても分かりやすくストレートに表現されるものである。だから、こういう絵になるのだろう。
一方の、有名な「最後の晩餐」はだいたいが著名な画家が描いた、いわば有銘画で
ある。だから「なぜ、この人物は皆と反対の方に顔を向けているのか?」、「そうか、この人物がユダなのか」と読み解いていかなければならないのである。
でも、無名の画家の手による『最後の晩餐』も多くあるようだ。ずっと以前に神保町の喫茶店に飾られていたので、店主に訊いたら「ロシアに行ったときに路店で買ったけど、画家の名前のサインもない」と言っていた。言われれば、無銘らしい素朴な絵の『最後の晩餐』だった。
いずれにしても、親は「早く離乳食に」と願っているが、人間の「最初の朝ごはん」である母乳の時期はアッという間に過ぎてもう二度とない。
一方、山田風太郎は『あと千回の晩飯』という作品を遺しているが、あと何回を予測することは誰もできない。「最後の晩餐」というのは、人間等しく突然訪れる。
そこに人間の営みの厳粛さと愛おしさがあるから、絵師・画家たちは「最初」や「最後」の絵を遺したかったのだろう。
〔文・写真 ☆ エッセイスト ほしひかる〕