<コンビニ創業戦記「鈴木貞夫言行録」>(第31回)
2021/04/09
賀 正
2018年(平成30年)が明けた。
今年は戌年、私も84歳、生まれてから7回目の歳男となった。
このところの世界は何かしら不安定で、決して明るいとは言えない気がする。
これまで世界の中軸にあると思っていた価値観が、大きく揺らいでいる様な現象が、世界のあちらこちらで起こっているからである。
大きく言えば、私たちは人類史上の大転換期に遭遇しているのではないか、と思う。
AIなどのIT技術や生命科学の急速な進歩・発展が、「人間とは何か」「生きるとは何か」の根源的問題を、改めて突きつけているかに見える。
今一度、江戸期の儒学者・佐藤一斎・言志四碌の言葉
『幼にして学べば,壮にして為すあり。
壮にして学べば、老いて衰えず。
老いて学べば、死して朽ちず。』
を肝に銘じ、終生努力を重ねたいと思います。
今年もよろしくお願いいたします。
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第8章「中内CEOを偲ぶ」(その4)
第3節「DCVS・ローソン時代」(3)
『長野オリンピックの思い出>』
昨年来、北朝鮮の核ミサイルの開発問題を巡って米朝間の緊張が高まり、日本、韓国はもとより、世界に核戦争勃発の危機感が漂う事態が起きている。このところ、絶対に最悪の事態を起こしてはならないと、ただ祈るばかりである。
さて迎えた2018年は、時あたかも、韓国での「ピョンチャン・オリンピック」開催の年である。
幸い韓国と北朝鮮とが、「ピョンチャン・オリンピック」共同参加に向けて交渉が行われていることは、喜ばしいことである。
これを契機に緊張緩和が一歩でも進むことを心から期待している。
丁度20年前、1998年(平成10年)2月、7日から22日まで15日間、日本で「長野オリンピック」が開催された。
その長野オリンピックに、日本コカコーラ社のご招待で、中内CEOご夫妻とご一緒に、私も妻と夫婦で参加できたことは、今から思えば記念すべき一生の思い出である。
当時のコカ・コーラ社ローソン担当の伊藤精嗣さんには大変にお世話になった。今更ながら感謝申し上げたい。
(伊藤さんとレストランにて)
私たちが参加したのは、長野オリンピック後半の2月19日から最終日の22日までの4泊5日であった。
19日
新幹線で長野入りして、コカ・コーラ社バスにて、オリンピック会場めぐりの上、万平ホテルに入る。
伝説の軽井沢万平ホテル、明治の名残りを残す格式の高いハイクラスのクラシカルな木造のホテルに4泊した。
万平ホテルは、コカ・コーラ社のご招待客で貸切状態であった。
ご招待客の中には、中内CEOご夫妻のほか、有名企業経営者や有名作家などが 多く参加されていた。
ホテルの周囲は緑豊かな深い森に取り巻かれており、1歩ホテルを出ると鳥の声が聞こえる静かな環境にあった。
その間、朝夕、万平ホテル自慢の本格的フランス料理を堪能することができた。
コカ・コーラ社バスにて、オリンピック会場巡りのあと、市内を観光、善光寺などを回った後、万平ホテル泊。
(ホテル外観とコカコーラバス)
中内CEOご夫妻とも、朝夕に、レストランやホテル内でお目にかかることがあったが、とても穏和な笑顔で接しられていた。
私の妻にも、「いつもお世話になります」と声を掛けて頂いたことを覚えている。万平ホテル初泊。
(善光寺前にて)
20日・
妻と二人で、万平ホテル周辺を散策した。
天皇・皇后両陛下の若き日のロマンスで有名なテニスコートを訪れたことを思い出す。
万平ホテル泊。
21日
会場「ホワイトリンク」にて、初めてオリンピック・フィギュア―・スケート表彰式とエグジビションを観覧する。
テレビでカメラの目を通して見るのと違い、初めてスケートリンクで直かに見る臨場感は、格別なものであった。
万平ホテル泊。
(フィギュア―スケート表彰式)
22日
日中は、屋内競技場「ビックハツト」にて、アイスホッケー試合を初めて観戦した。
観戦したのは海外チームの試合であったが、格闘技のような激しいぶつかり合いの音と、
選手の動きのスピードの余りの速さに驚いた記憶がある。
(アイスホッケー 会場の風景)
夜は、長野オリンピック・スタジアムでの閉会式に参加、屋外の寒気が厳しい中、コカ・コーラ社バスの送り迎えで、
特別誂えの分厚い防寒用コートを着て、閉会式典に参列した。
平成天皇・皇后両陛下が参列され、閉会宣言、サマランチIOC会長挨拶、選手行進 、聖火消灯、次回開催国アメリカへの五輪旗譲与、
長野民族舞踊など賑やかなアトラクションで盛り上がる。
5000発の花火が夜空を彩った。晴れやかな閉会式の余韻を感じながら、万平ホテル最終泊。
(閉会式風景)
23日
午前、コカ・コーラ社バスにて万平ホテルより軽井沢駅まで見送りを受け、新幹線にて帰京。
平成天皇・皇后両陛下の御帰京の列車と同じ列車であった。
軽井沢駅は、お見送りと警護の人たちであふれて大混雑していた。
両陛下が手を振って応えられているお姿を拝しながら、乗車したのを思い出す。以上。
(以下次号・「鈴木貞夫言行録」第32回を掲載します。)
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