第509話 通人「江戸ソバリエ」とは何か?

     

「田代沙織のここが聞きたい!」(『リベラルタイム』)より

 『リベラルタイム』誌から江戸ソバリエ協会についての取材があった。
内容は以下のようなことだったが、そのうちの今までのことは仲間の皆さ
んのご支援のお蔭で、これまで続けてきた事業内容そのものを語ればよかった。
しかし、最後の「今後の夢?」ということに関してはお答するのが難しかった。
1)「江戸ソバリエ」とは?
2)蕎麦との関わりは、どうして?
3)なぜ、こうした組織を?
4)15回講座までのご苦労?
5)今後の夢?

☆NPOって何!
正直にいって「夢」と呼べるようなだいそれたものはあまりない。これまでも、これからも、目前の課題を解決していこうということだけである。
その目前の課題の一つが「NPOって何?」ということがあると思う。
実は、この大きな課題に突き当たった忘れられない体験というのがある。
ある蕎麦祭りで配膳を手伝っていたときだった。
「美味しいね」とお客さんが言って、こう続けられた。「普段は何処でお店をやっているの? 今度食べに行くよ」
「われわれは蕎麦屋じゃありません。素人です。」
「エッ、素人なの! それで金トルの? ひでぇナ!」
「!?」
こうした課題は頭の隅にはあったが、「ひでぇナ!」には、ショックだった。
世間の声というか、反応というのは、アンケートをとって数字が多いのが、本当の声だとはかぎらない。一人の声の中に大きな問題をはらんでいることがある。この人の言葉がそうだった。
「プロ=商売人」「アマ=趣味人」であるのが、「プロ=上手」「アマ=下手」ということと混同された結果、食べて美味しかったはずなのに、素人と知るや「アマ=趣味人→下手なくせに、金トルのか」となる。多くの人が「ありがとう。おいしかったよ」と言ってくれる人がいるが、たとえ「アマ=上手」であることを理解したとしても、どこかに「好きでやってんだろ」とかの感じを捨て切れないところも見受けられる。
こんなこともあった。ある私立の施設から蕎麦打ちボランティア要請の電話があった。そこで材料費、道具運搬費などの話をすると、「何だ、お宅はNPOじゃないのか、金トルのか」と言って電話が切れた。
今、オリンピックのことで話題になっている「ボランティアとは何?」にもそういうところがある。
一方が「ボランティアする喜びを知ってほしい」と言えば、他方は「ただ働きの動員か」と反発する。もちろんボランティアを直接受けられた人たちには感謝される。しかしその外側の人たちの一部には「好きでやってんだろ」的なところもあるようだ。こういうのを釦のかけ違いというのかもしれないが、それは個人ボランティアと、法人ボランティアという立場の違いのことを指すだろう。
前者は自らのモティべーションが沸き上がってのボランティアとなる、それを自己完結・自己責任の世界であるという。だが、後者はそう簡単ではない。モチベーションが共通でなければならないし、さらに法順守や経営の問題が出てくる。とくに法人の場合、「売上はないが、経費はかかる」し、社会的な責任もある。そこがなかなか理解されない。
ともあれ、上述のような舞台で活動している人たちを、蕎麦界では仮に「蕎麦の通人たち」と呼ぶとしたら、蕎麦界には少なくとも3万人は存在するだろう。日本の蕎麦店は明確にはカウントできないが、麺類店3万軒といわれるのに対し、相当な勢力であることを知ってほしい。
であるのに、世間的には「好きでやってんだろ」的な存在でしかない。「違うよ」と言いたくて、社会的に認められている法人にしてみたが、あまり変わりはない。

こうした問題をある政治家に相談したところ、「声を出さなければ、国に声は届かない」と言われた。さらに「声を出すということは、数人で叫んだりすることではない。政治団体を作って、正式に提案する」ということらしい。これは私の力を越えた問題であり、手が出せない。
政治家は「数人で・・・」と言うけれど、やはりボランティアだとか、NPO的な問題はもっと熱い議論が沸き上がってほしいと願っている。これが目下の課題の一つでもある。
と、厳しいことを言うようだけど、言われるように「好きでやってる」ということが何よりも大事である。

追記
近々、セミナーを開講する予定だが、ある方が「内容は難しそうだけれど、寄付だと思って参加する」と笑いながら言われた。
「さすがは同志」と私も笑って、その人と握手した。

参考:『リベラルタイム』2018年11月号「田代沙織のここが聞きたい!」

〔文 ☆ 江戸ソバリエ協会 理事長 ほしひかる