第627話 千葉在来の受賞

     

第627話 東京圏の蕎麦Ⅱ

☆誉田駅
JR外房線には面白い駅名がある。誉田駅・蘇我駅などであるが、誉田とは応神天皇のことであり、蘇我といえば蘇我入鹿を思い出す。だから古代史ファンにとって辺りは応神天皇や蘇我入鹿と関係あるのだろうかと、想像をたくましくさせてくれる所である。おまけに蘇我駅の隣が鎌取駅、蘇我入鹿を打ち取った中臣鎌足に似た名前と続いているから笑ってしまう。
その誉田駅で小林照男さんと『蕎麦春秋』の記者さんと待ち合わせた。
この『蕎麦談義』第622話で「東京圏の蕎麦」の活躍ぶりを述べたが、そのうちの「千葉在来」が令和元年度の日本蕎麦協会会長賞を受賞したため、その祝賀会が内々で開かれることになり、記者さんとともに参加させてもらった。
小林さんの運転で走っている途中、小さな八幡神社を通り過ぎた。そのとき私は「ハハン」と思った。八幡神は応神天皇のことである。由来はこれかと思って、帰宅してから確認してみると、そうだった。そして蘇我もそうだった。近くにある蘇我比咩神社に由来していた。ただし鎌取駅の名前は文字どおり鎌で刈取る行為からきているらしい。もう一つ、誉田駅の隣には土気駅という不思議な名前の駅があるが、何でも古来天然ガスが湧出する地区であったためには「土から気」が発生していたからというから、感心する。
いずれにしても、一帯は神々に守護された村であったことにまちがいない。

☆千葉在来
さて、小林さんは、野呂地区の土屋邸の前をゆっくり通ってくれた。周辺の蕎麦畠を見せてあげようというわけである。
千葉在来は、この土屋家の徳多郎さんが栽培していた蕎麦を千葉県農業大学校の長谷川理成先生(当時:千葉県農林総合研究センター・育種研究所長)が偶然見つけられたところから始まる。
そもそもが千葉県の下総台地という所は、明治2年ごろから順に開墾されていった地区である。開墾者たちは、関東ローム層を開墾し、短期間で収穫できて痩せた土地でも育つ蕎麦を作付したり、さらには麦・芋類の輪作、雑木林の落葉を利用した畑作を行ってきた。
土屋徳多郎さんの祖父も、日光街道二十一次の中の宿場町越谷から千葉の野呂地区に蕎麦の種子を持って入植し、開拓に励んだ一人だった。したがって千葉在来の元をたどれば北関東の秋型の在来蕎麦だったといえる。そして子孫の徳多郎さんもまた60年以上栽培を続けられてきたのである。
今は千葉在来となったその蕎麦を農家(当時は千葉市の職員だった)の加藤(森井)明男さんが主体となって栽培を続けられている。それが評価されてのこの度の第31回全国そば優良生産表彰事業における日本蕎麦協会会長賞の受賞となったのであるが、それには信州大の井上先生らの応援も大きかったのかもしれない。
受賞者の加藤さんが手掛けているは蕎麦畠も土屋邸のすぐ近くである。そこには最近できた「季のむら」という蕎麦愛好家集会場もある。
会場に、今日の祝う会を企画された小林照男さんはじめ勝山富江さん(「季のむら」世話役)、大浦明さん(千葉在来普及協議会会長)ら江戸ソバリエ各氏が集まった。蕎麦打ちは、名人が長谷川先生の持ち物である見事な欅の鉢で打ってくれ、料理は勝山さんや佐藤悦子(江戸ソバリエ倶楽部副会長)さんら女性陣が台所で準備してくれた。
それから、祝辞や加藤さんのご挨拶が続き、料理と千葉在来を味わった。

ところで、趣味の蕎麦界において「千葉」はユニークな存在感を示している。
そのことを言う前に、東京圏における蕎麦打ちは盛んである。それは現在の蕎麦が江戸で完成したという史実と関係するだろう。しかし蕎麦生産は低調であることは他の農業と同様である。その中で最近、「埼玉」の生産が伸びていることは第話でも指摘した。
一方の「千葉」はといえば、千葉在来と千葉そば大学講座の存在によって活気がある。千葉そば大学講座は毎年500名前後の聴講生を集める。千葉在来は、アマの団体「千葉在来普及協議会」が推進している。この両輪が千葉の趣味の蕎麦界を盛り上げることに成功している。全国でも珍しい例といえる。
ただし、この度の受賞は「千葉在来」の歴史から見ると大事な局面になるだろう。
というのは、当年度の受賞者を見てみると、福井の在来種や常陸秋そばなどと並んでいる。次のステージはそれら大きなプランドとどう対峙していくかということになる。言葉を換えれば、今までは千葉在来を愛する千葉の人のための千葉在来であったが、これからは全国区の千葉在来の道が待っているというわけである。
会が終わってから、小林さんに「今度は千葉在来を使用している泰庵に食べにいきましょう」と誘われた。
小林さんも千葉在来の新しい道を模索しておられるようだ。

〔文 ☆ 江戸ソバリエ協会 理事長 ほしひかる