第665話 将来の街の光景を
2020/10/13
~ 『世界蕎麦文学全集』物語7 ~
1968年ごろダスティン・ホフマン主演の『卒業』という映画がヒットした。それに連れてチャールズ・ウェブの原作も売れ、テーマ曲のサイモン&ガーファンクル「サウンド・オブ・サイレンス」が大ヒットした。
https://www.youtube.com/watch?v=nc_pswv6aDM
角川春樹は、これをヒントにして映画×本×音楽の「三位一体」戦略を生み出して、角川映画ブームを起こした。
ところが、この三位一体的戦略は角川映画のお得意芸だとはいえず、すでに江戸の食業界で開発されていた。
話はこういうことだ。先ず、日本では1657年に江戸浅草の待乳山聖天の門前に「奈良茶飯」屋が開店した。続いて日本橋や浅草で蕎麦屋ができた。ここらあたりが日本の外食産業の始まりだ。
ついでながら、近世における世界の外食店の始まりを紹介すると、フランスにレストランが登場したのは1765年、イギリスは1827年だから日本はかなり早い。
そして重要な事は、1777年の三都名物評判記『富貴地座居』(作者:悪茶利道人)に江戸の料理屋31軒が紹介され、また1848年の『江戸名所酒飯手引』には約600軒の各種飲食店が掲載されていることである。以降、江戸時代にはグルメガイドブックがたくさん発刊され、江戸は食の都になった。
そこでご紹介するのが、小杉健治の小説『正直そば』である。
つまり、地本問屋「丸見堂」の番頭と、絵師の宇田川広麿と、通人の「春駒」の旦那の3名が、江戸蕎麦の案内書を作ることにしたと言って蕎麦屋「多幸庵」を訪れる、といった話である。 もちろん筋には他の事件が絡み合っているが・・・、江戸の食が花盛りとなった三位一体の組合せをテーマにした小説である。
しかし残念なことに、前話で書いたように明治以降の日本では和食は遅れていると見られ、主役の座を追われて大衆化していった。
ところが、近代になってフランスが、グルメ×ミシュラン×シェフの三位一体戦略で、フランス料理を世界の料理にまで押し上げた。ミシュランのガイドブックの刊行は1900年のことだから、江戸式のシステムは世界に通用するシステムであったことが証明されたわけである。
時は流れて2007年、初めて『ミシュランガイド東京』が出版された。
その年、☆を獲得した世界の都市のレストランは次のようになっていた。
東京:150店、パリ:64店、ニューヨーク:42店、サンフランシスコ:34店、ロンドン:43店、ロサンゼルス:19店。
西洋の人々から「何かの間違いだ。アジアの東京でその数はありえない」の声が噴出した。しかしその後も日本の数字は伸びていった。その結果、日本の料理が長い歴史と伝統に裏打ちされていることを、世界の人たちも段々理解するようになってきて、いわゆる和食ブームが起きた。
だが、それもコロナ禍で中断された。それが中断なのか、ブームの終りなのかはわからない。和食の将来は日本人の手にかかっている。
ところが、話にも述べたように街の光景は手作り職人の店は消失し、効率化を求めた企業外食店オンパレードになっている。供給側もそして需要側もそれを求めてきた。それはなぜだろうか?
おそらく明治政府の欧化政策の結果、「日本は遅れている。西洋が目指すべきモデルである」という遺伝子が日本人の中に生きているからであろう。その遺伝子は戦後になって「日本は遅れている。アメリカは進んでいる」に変換したが、その劣等意識がどうしても日本人から拭いさることができないようだ。
コロナ禍の遠因が新自由主義にあると識者が叫んでも、なかなかそれはおさまらない。最近の「OOTOYAをもっと効率よく経営できる}とするTOB事件は、まさにコロナ渦中に起きた。彼らは効率化が経済発展に寄与すると信じている。また街では食の宅配の往来が盛んになってきた。それらの容器が世界中で心配されているが、TVの宅配CMは増える一方である。
他方、ヨーロッパはグリーン・リカバリーへと舵を切っている。地球に犠牲を強いて発展することはマイナス成長と考える人たちが出てきたからだ。
よって、ポストコロナの文明に向かって、いま次の3つの渦が巻いている。
☆ヨーロッパ 民主主義×地球主義
☆アメリカ 自由主義×経済主義
☆中国 強権主義×経済主義
かつては世界に誇る江戸の食システムを創った日本である。私たちは将来あるべき街の光景を誇りをもって描くべきだろう。
【世界蕎麦文学全集】
23.小杉健治『正直そば』
文 ☆ 江戸ソバリエ認定委員長 ほしひかる
写真:Mugi Ujihara撮影「蕎麦の花」