第735話《筑後うどん》の話
2021/09/16
近所に《筑後うどん》の店ができたので、入って、食べた。美味しかった。
どう美味しかったかというと、麺が柔らかくてやや粘りがあって、汁がホッとする感じで、薬味の葱の緑色がきれいだった。
パンフレットを見ると、小麦粉はチクゴノイズミ、水は軟水、出汁は鹿児島枕崎産削り節、長崎平戸産アゴ、熊本牛深産イリコ、北海道羅臼産昆布、熊本天草産の塩、醤油は福岡産の淡口醤油と、九州尽くし。
ただ、葱は写真のようにやや控えめの量なのは東京流になってしまったのだろう。地元であれば、葱タップリというのが流儀であることは、729話の「かろのうろん」でお話したとおり。
しかしこの葱の話を東京の方にすると「九州って葱の青い部分を食べるのでしょう。白いところはどうする?」と訊かれることがある。
内心「この東京の田舎者ヨ」と思いながら、「葱には、温暖地では葉葱、寒冷地では根深葱、と二種類ありますよ」などと、前はご説明申上げたていたが、現在は情報が行きわたってその必要もなくなったようだ。ただ東京の偉いところは無知な田舎流を居直って〝粋〟だと言っているところは、さすがに都会だと思う。
ところで、もうひとつ粋な東京の田舎者から質問されることがある。
「九州出身なのになぜ蕎麦? 九州なら饂飩でしょう!」と、まるで法で決めつけられているような言い方である。
社会心理学者のル・ボンは「群衆は物事を軽々しく信じるものである」と言っているが、物事を知りもしないし、知ろうともしないで、「西は饂飩、東は蕎麦」とマスコミなどから分かり易く軽々しく言われると、信じてしまうところが人にはある。またそれはイジメの遠因にもなっていて、人間は誰でもが陥りやすいらしい。
それはともかく、この質問にはほとほと困ってしまう。なぜかというと理由がないからである。
そんなとき、『蕎麦処 山下庵』に書かれていたタモリ氏の「博多うどん好きのそば狂い」というエッセイを目にした。
~ 僕は福岡ですから、麺類となると《博多うどん》なんですよ。蕎麦は見向きもしませんでした。それががらっと変わったのは、大学に入学して蕎麦屋に連れて行かれたときですよ。蕎麦そのものも違えば、まずもって出汁が違う、つゆが違う。開眼しましたね、蕎麦に。蕎麦ってこんなに旨いものだったのかと。~
アッ、同じだと思った。
ちなみに、この「・・・ですよ」という言い方がいかにも九州弁を感じさせてくれるが、それはともかくとして、あるときに「タモリさんがこう言ってます」と申上げた。
すると、何と皆さんが、納得してくれだのだ。
タモリさんという有名人がおっしゃっていると言うと、それが説得力になるのかと感心した次第、ですよ。
〔エッセイスト ほし☆ひかる〕
写真:筑後うどん名物《ごぼ天うどん》