第258話 戦い済んで日が暮れて

     

【挿絵 ☆ ほし】

不似合いながら、ある蕎麦打ち名人戦の審査員をすることになった。ここの名人戦は上手く蕎麦打つだけではなく、旨い蕎麦を打つところにある。だから、他とちがって食味テストもある。
そもそも蕎麦打ちというのは、準備、加水、練り、延し、切り、片づけ、茹での七工程もあって、これを総合的に評価するのはなかなか難しい。
一つひとつの項目に点数を付けて合計すればよさそうだが、そうした積上式と、別途の総合判断が異なる例は多々見受けられるところである。
それでも、予選では審査員の評価はだいたい一致していたが、やはり決勝戦ともなると審査員の納得性によって評価に多少バラツキが出る。
なかには、自信がありながら心ならずも名人位に選ばれなかった方もいるだろう。
そんなわけで、当実行委員会はそうした傾向を少なくするために、審査員を多く置いたり、食味テストを設けたり、審査員間の話し合いの時間をとったりと、誠意があり、かつ科学的であると思う。

ところで、ここから先は審査基準云々のことではない。名人戦後のフォローの話である。
名人戦が終わった後の懇親会の席であった。宴も酣、皆さんが席を移動し始め、各々の会話にも熱が入り始めた。
私も、あるスタッフの方とお話しているなか、「自信がありながらも名人位を逃した方もおられるだろう。しかしそれはこういう理由があって」というようなことを申し上げた。するとその方は、「それだったらAさんに、その過程の説明をした方がいい。きっと納得される」とおっしゃった。
さっそくながら、その人の気持を察しながら、慎重にお話してみた。すると、「半分自信が挫けていたが、再度頑張る気がわいてきた」とおっしゃった。
「よかった」と内心、私はホッとした。
私たちのような蕎麦を愛する者の集まりは、蕎麦を愛そうという人の気持を裏切ってはいけないし、可能性を潰すようなことをすれば、蕎麦に怒られる。それは審査員とか、挑戦者とかいう以前の、基本中の基本だ。
だから、こうした名人戦においても、審査をやりっ放しすることなく、その後のフォローをどうするかを考えなければならなかった。
私は、話すことを勧めてくれた方に「勉強になったのは、私の方だ」とご報告しようと思った。

〔蕎麦打ち名人戦 審査員、エッセイスト ☆ ほしひかる