第938話 街を食べる

     

  『月刊日本橋』の社長さんを浅草の「蕎亭大黒屋」というお蕎麦屋さんにご案内しました。
 お店に行くには銀座線の田原町で下りてから少し歩かなければなりません。初めて訪れるときはちょっと遠く感じますので、理由もなく「申し訳ありません」と謝りながら、国際通りをしばらく歩いて行きます。そうして言問通りにぶつかりますので、それを渡って、今度は浅草千束通りを行きます。
 このとき社長さんが「センゾクってここなのね」とおっしゃったので、「ここは千束、もうひとつのは洗足でしょう」と申し上げると「あ、そうか」とおっしゃりながら、焼き鳥「ちょべりば」とか、喫茶「デンキヤホール」なんて粋な店名が気に入られたようでした。私が「ちょべりば、って何でしたっけ」と言いますと、「超very badよ」と社長さん。「あ、そうでした」と私は答えながら、千束通りを右折しました。すると「蕎亭大黒屋」の灯が見えます。

 社長さんは「あゝ、この路地はいい感じ」と感嘆されます。
 こんな風に、街並みを楽しんで歩いておられる社長さんに、私はすっかり感心してしまいました。 社長さんの会社は、《鰻》の機関誌も発刊されているので、食への関心が高い方です。ですから、私が芸術品と言っている「蕎亭大黒屋」の《蕎麦寿司》をぜひ食べてもらいと思って、ご案内したわけです。すると想像していた通り、《蕎麦》は当然のこと、繊細な《蕎麦寿司》に、超微粉の《とろろ》などすべての料理に感激してもらったので、ご案内し甲斐があったと、私も満足したのです。
 それ以上に、先に述べたように夜の浅草を風情があるといたく楽しんでいただいたことにも感激しました。こうした社長さんのような姿勢は、食を中心として街ごと楽しむ、いえば「街を食べる」という気持なんだと大変勉強になりました。
 お蔭さまで、今日の、浅草=レトロな商店街=江戸蕎麦「蕎亭大黒屋」は一式の景色となって、これからも私の心に記憶されるでしょう。

 「街を食べる」ということに気が付いたとき思い出したのが、息子との蕎麦会でもそのようなことがあったことです。
 たまに息子と蕎麦を食べに行くことがありますが、まだ彼が若いころでした。
 両国の「ほそ川」に行こうというとき、両国といえば吉良邸というわけで、ちょっと立ち寄ってみようということになったのです。
 吉良邸は、旧暦の元禄十五年十二月二十四日年(新暦1703年1月30暦)に赤穂浪士四十七人が侵入し、吉良上野介を討ちとったことで有名です。その討ち入り前に蕎麦を食べたとか伝えられています。話の真否はともかくとしまして、お蔭さまで、あの日の、両国=赤穂浪士討入=江戸蕎麦「ほそ川」が一式の景色になって今も記憶されているのです。

 街を食べる・・・、これからも意識しようと思った浅草の夜でした。

               エッセイスト
               ほし☆ひかる