☆ ほし ひかる ☆ 昭和42年 中央大学卒後、製薬会社に入社、営業、営業企画、広報業務、ならびに関連会社の代表取締役などを務める。平成15年 「江戸ソバリエ認定委員会」を仲間と共に立ち上げる。平成17年 『至福の蕎麦屋』 (ブックマン社) を江戸ソバリエの仲間と共に発刊する。平成17年 九品院(練馬区)において「蕎麦喰地蔵講」 を仲間と共に立ち上げる。平成19年 「第40回サンフランシスコさくら祭り」にて江戸ソバリエの仲間と共に蕎麦打ちを披露して感謝状を受ける。平成20年1月 韓国放送公社KBSテレビの李プロデューサーへ、フード・ドキュメンタリー「ヌードル・ロード」について取材し (http://www.gtf.tv)、反響をよぶ。平成20年5月 神田明神(千代田区)にて「江戸流蕎麦打ち」を御奉納し、話題となる。現 在 : 短編小説「蕎麦夜噺」(日本そば新聞)、短編小説「桜咲くころ さくら切り」(「BAAB」誌)、エッセイ「蕎麦談義」(http://www.fv1.jp)などを連載中。街案内「江戸東京蕎麦探訪」(http://www.gtf.tv)、インタビュー「この人に聞く」(http://www.fv1.jp)などに出演中。 |
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ほしひかる氏 | ||
【9月号】 |
猿が木にしがみついて、私の方をじっと見ていた。鳥の声が樹々に木霊していた。白い風が吹いてきて、軽井沢の花「山帽子」が小さく揺れた。そのとき私は、軽井沢について何か書いてみようと思った。
蕎麦の花 浅間の裾の 秋の雪 秋に咲く白い蕎麦の花を雪に観立てた川柳だ。そういえば、今日も行く先々で山帽子の白い花が小さな風に揺れていた。一帯は春には、辛夷の白い花と林檎の白い花が咲き、夏には山帽子の白い花が咲く。今は初夏、辰雄が軽井沢で『田園交響曲』の第一楽章の気分を味わったときと同じであった。 名曲『田園交響曲』は、ウィーン市郊外のハイリゲンシュタットの、のどかで美しい自然の生活が奏でられている、と言えば簡単なようだが、何しろベートーヴェンは耳が聞こえない。それでいて小川のせせらぎや雷鳴を描いている。天才というのは神通力でも有しているのだろうか、と感嘆する。それに軽井沢を散策しながら「『田園交響曲』の第一楽章」と断じた堀辰雄の感性もまた素晴らしい。それを思うと、縁が深いと言いながら、実は私は軽井沢のことを何も知らない、ただの旅人であることを思い知るのであった。 南軽を通ったとき、お気に入りだった「仙匠」を目で探した。寮の売却手続きが完了したころ「店を閉じた」との噂を耳にしていたが、やはり店はなかった。軽井沢に似合う、美味しい珈琲屋にでも転業したのだろうか。 別荘の件は知人には「自宅ならぬ別荘は、非日常的住まい。海の別荘なら海を望める所に、高原や山地の別荘なら山を望める所が理想だろう。軽井沢なら、浅間山の稜線が眼に入るような眺望のいい所が良いのでは」と薦めた。 東京に戻るとき、新幹線が高崎駅に停車した。かつて軽井沢で一緒に仕事をした友人は高崎に住んでいた。しかし、残念なことに私と同輩の彼は数年前、すでに旅立っていた。友人は、仕事にも、生活にも、常に真剣な男だった。高崎の彼を訪ねた折、ラーメン党であるにもかかわらず、私のために何軒か調べた上で蕎麦屋に連れて行ってくれたこともあった。身体も声も大きかったが、彼はそんな面もある男だった。当然、胃癌に侵されたと判明したときも彼は病魔に敢然として立ち向かっていった。が、神は友を天国へと招いてしまった。 新幹線が高崎駅を離れた。「さらば、友よ!」 改めて私は心の中で祈った。 そうして思った。われわれはこの地球上に風のように現れ、そして宙の彼方へと風のように去って行く、小さな旅人ではないだろうか、と。 (エッセイスト・江戸ソバリエ認定委員) 参考:堀辰雄著『美しい村』『風立ちぬ』『ルウベンスの偽画』『信濃路』、ベートーヴェン作曲『田園交響曲』 第16話は「縄文土器が日本を創った」を予定しています。 |
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