☆ ほし ひかる ☆ 昭和42年 中央大学卒後、製薬会社に入社、営業、営業企画、広報業務、ならびに関連会社の代表取締役などを務める。平成15年 「江戸ソバリエ認定委員会」を仲間と共に立ち上げる。平成17年 『至福の蕎麦屋』 (ブックマン社) を江戸ソバリエの仲間と共に発刊する。平成17年 九品院(練馬区)において「蕎麦喰地蔵講」 を仲間と共に立ち上げる。平成19年 「第40回サンフランシスコさくら祭り」にて江戸ソバリエの仲間と共に蕎麦打ちを披露して感謝状を受ける。平成20年1月 韓国放送公社KBSテレビの李プロデューサーへ、フード・ドキュメンタリー「ヌードル・ロード」について取材し (http://www.gtf.tv)、反響をよぶ。平成20年5月 神田明神(千代田区)にて「江戸流蕎麦打ち」を御奉納し、話題となる。現 在 : 短編小説「蕎麦夜噺」(日本そば新聞)、短編小説「桜咲くころ さくら切り」(「BAAB」誌)、エッセイ「蕎麦談義」(http://www.fv1.jp)などを連載中。街案内「江戸東京蕎麦探訪」(http://www.gtf.tv)、インタビュー「この人に聞く」(http://www.fv1.jp)などに出演中。 |
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ほしひかる氏 | ||
【10月号】 |
火が燃えるような激しい形をした縄文土器に魅せられた人は多いだろう。私もそうだった。 よく西欧の原始美術として採り上げられるものに洞窟画がある。たとえばフランス・ラスコーやスペイン・アルタミラの洞窟には、狩の対象としてのマンモス、バイソン、厚毛犀、馬、鹿などの動物が描かれている。これを観ていると、狩の後の宴では肉を直接火に炙って食したであろうことが想像できる。それが所謂〝火の料理〟である。 やがて何千年を経て弥生時代と呼ぶ時代を迎えたとき、われわれの祖先は米を栽培することを知ったが、弥生人は米も土器で煮て食べた。 そんなことを想えば、日本料理の原点は縄文土器にあり、まさに土器の創意は宇宙船の発明に匹敵するほどの快挙だったといえるだろう。 (エッセイスト・江戸ソバリエ認定委員) 参考:後藤和民著『縄文土器をつくる』(中公新書)、新潟県笹山遺跡出土「火焔土器」(十日町市博物館)、富山県氷見市朝日貝塚遺跡出土「杷手付土器」(東京大学総合研究資料館)、県立琵琶湖文化館「韓かまど」、E.S.モース著『大森貝塚』(岩波文庫) 第17話は「けものたちは故郷をめざす」を予定しています。 |
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