☆ヌードル・ロード
韓国放送公社KBSでは1年半を費やしてフード・ドキュメンタリー「ヌードル・ロード」を制作している。オン・エアは2008年の秋らしい。
そのプロデューサーである李旭正さんに、ある人のご紹介でお会いして話す機会があった。彼のプロジェクトは、中国はじめブータン、タイなどアジア各地、それとイタリアに出かけ、日本では、素麺、饂飩、蕎麦、ラーメン、鰹節、精進料理、あるいはゆかりの寺社などの取材・撮影を行っている。
そんな取材の過程で、李さんは二つの疑問をもったという。
①北東アジアでは共通して蕎麦を食べている。しかし、各国では圧縮式の麺であるのに、日本は切り麺である。なぜなのか?
②欧米では主としてイタリアにパスタがあるぐらいだが、アジアでは各地に麺がある。なぜアジア人は麺が好きなのか?
①の切り麺に対しては、私は庖丁の役割、つまり日本では〝切る〟ことが料理のすべてであることを説明したが、わかってもらえただろうか。
②のアジアの麺については、李さんは「これらの地域の文化である米を煮炊きすることが麺につながっているのではないか」という仮説を抱いているという。この米の煮炊き説は私も賛成である。日本の料理を一言でいえば「水の料理」であることや、その源はわれわれ日本人の祖先が「縄文土器」を発明したことに始まっていること、それに対して外国は「火の料理」が多いことを小生もあちこちで話してきている。
そのことを漢字の成り立ちから見てみよう。
焼く、炊く、煮る、蒸す、という料理法の漢字は、共に[ひへん]と[れんが]が付いていることからも分かるように、元々は火から出た字である。
これらの字を整理すれば、炊く、煮る、蒸す という漢字グループと、焼く漢字に分けられるだろう。
☆ 炊 = 火+吹き出す音、煮=火+者という音、蒸=火+丞という音。
☆このグループの漢字は、火にかけた鍋の中で水の滾る音がする聴覚的な字であり、水の料理を表現している。 |
☆ 焼 = 火+火が高く上がる。
☆この漢字は、高く上る炎で肉を焼いたり炙ったりする視覚的な字であり、火の料理を表現している。 |
そもそも〝米〟は「粒」のままでも「粉」にしても旨い食物であるが、アジア人はそれを基本的には水で料理してきた。(もちろん、米粉で作った餅や団子を焼くこともある。)
一方の、〝麦〟は粒のままより「粉」にした方が旨い食物であり、西洋人はそれを基本的には焼いて料理してきた。
ところが、〝麦〟を「粉」にしたとき、水の料理に慣れたアジア人は、西洋のように焼かずに水で料理しようとした。そこに「麺」という形が生まれたのだと思う。
米 |
粒(飯)・粉(餅・団子) + 水 |
→ |
麦 |
粉(麺) + 水 |
麦 |
粉(パン) + 火 |
|
そんな水の麺に慣れた目で、皿に盛られたパスタを見れば、まるで水中(碗)に泳ぐ生物が陸(皿)に上がったようなものだ。当然、西洋のパスタはアジアの麺とは全く違った道を歩んだのである。
アジア |
麺 |
汁 |
碗 |
箸 |
西洋 |
パスタ |
ソース |
皿 |
フォーク |
☆パスタ・ロード
そのパスタのルーツというのはよく分かっていない。古代ローマからあったとか、9~12世紀のアラビア人が乾燥パスタを作ったとか、マルコポーロが伝えたとか、諸説が流布している。またその言い伝えも生パスタ(ニョッキ、ラザーニャ、ラビオーリなど)と乾燥パスタ(マカロニ、スパゲティなど)のことが混乱した説となっているようにも思われる。それでも13、14世紀には確実に両パスタは存在していており、とくに乾燥パスタは天日干しに都合のいい気候に恵まれたイタリア南部で発展していったようである。そうして17世紀バロック時代には、イタリアでスパゲティが大人気となり、パスタの店があまりにも多くなったため、時のローマ教皇・ウルバヌス8世(1568~1644、在位:1623~1644)が1641年の教書で「店と店との間隔は24㍍とするように」と命じたとも伝えられている。それでも18世紀初めごろまでは、スパゲッティは民衆のおやつのような食べ物であった。その食べ方といえば、チーズだけをかけて、立ったまま、右手の3本の指でスパゲティを挟んで頭上に手でかざし、垂れ下がったスパゲティを下から食べていたという。
そんなとき両シチリア王国(イタリア南部)の国王フェルディナンド1世(1751~1825、在位:1815~1825)と、その王妃マリア・カロリーネ(1752~1815)らが登場する。
この国王は、性格がざっくばらんというべきか、変わり者というべきか、庶民の風俗をこよなく愛し、宮廷料理人に毎日スパゲッティを供することを命じたのである。それを聞いた超上流階級ハプスブルク家出身の王妃が、庶民のような下品な食べ方を許そうはずがない。それでも「王が望むなら」と一部妥協して、「ただし、もっと上品に食べる方法を考えよ」と料理長ジョヴァンニ・スパダッチーノに命じた。こう聞くとマリア・カロリーネは従順な妻のように思われるかもしれないが、そうとばかりは言えないところがある。フェルディナンド1世は政治のことは王妃マリア・カロリーネにまかせて、自分は遊びまわり、王妃もまたそれを望んでいたらしい。なにせマリア・カロリーネは、「女帝」と恐れられた神聖ローマ皇帝フランツ1世シュテファンの皇后のマリア・テレジアの娘であり、あのマリー・アントワネットの姉という政治色濃厚な血筋をひいている女性なのである。それはともかくとして、厳命をうけた料理長はフォークを使ってスパゲティを食べることを考え出し、さらに工学エンジニアのチェーザレ・スパダッチーニが、先が長く3つ又だったフォークを、口に入れても安全でスパゲッティがうまくからむ様に先を短く4つ又にしたのだという。1770年ごろの話らしい。
余談だが、あの文豪ゲーテが丁度このころナポリを訪れているから面白い。1787年のことである。彼はこう書き残している。「午後になると美しい坦々たる畑地が行手に開けた。ひろい舗道が緑の小麦畑のあいだを通っている。小麦はまるで毛氈を敷いたようで、五六寸の高さはあろう。――― 当のナポリは見るからに朗かで自由で溌剌としている。無数の人々が縦横に駆けまわる。国王は狩場に、そうして王妃は御吉兆」。
ゲーテの言う、国王とはフェルディナンド1世、王妃とはマリア・カロリーネのことであることはいうまでもない。ゲーテがナポリを訪ねた折は、まさにスパゲティを手で食べることからフォークで食べるように変わろうとするときだったのである。
いずれにしろ、パスタ・ロードを振り返れば、この伝説に登場する気まぐれ者や実直な人たちがイタリアパスタの発展の礎をつくったことはまちがいない。
おそらく、どこの国にも、そんな麺物語があるのだろう。李さんは、そんな思いをもって「ヌードル・ロード」を制作し、人間の真実にふれようとされているにちがいない。
参考:http://www.gtf.tv「江戸東京蕎麦探訪」、角川書店『漢和辞典』、石毛直道著『麺の文化史』(講談社学術文庫)、鯖田豊之著『肉食の思想』(中公文庫)、塩野七生著『イタリアからの手紙』(新潮文庫)、ゲーテ著『イタリア紀行』(岩波文庫)
第23話は「王妃 カトリーヌ・ド・メディチ」を予定しています。 |