第354話 江戸の味は房総から

     

千葉県の「さくら蕎麦の会」の金子会長様から何か話さないかと依頼されたので、千葉なら「江戸の味は房総から」ということでいいですかということで、拙いながらお話をさせていただいた。

ヒゲタ【銚子の醤油】

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
江戸ソバリエはじめ蕎麦通なら、蕎麦つゆ=出汁+返し(醤油+砂糖+味醂)から成っていることはとうにご承知だろう。
この「ダシ」とか「かえし」とかをカタカナやひらがなで書くと、本来の意味が分からなくなるが、漢字で表記すれば「出汁」は旨味を出す、「返し」は「煮返す」という極めて現実的なことからきていることがよく理解できる。
また、「返し」には「本返し」と「生返し」があることも皆さんご承知だろう。つまり、本返しは煮立せたもの、生返しは加熱しないで瓶の中で寝かせるもの。だから、煮返すという語源や、「本」を冠してるところからいって、本来は返しは煮立てていたが、後になって寝かせる方法が考えられたのだろうということが推測できると思う。
それに、つゆの完成は、醤油の完成という食品史上画期的な事件があったからこそということが、「醤油」という呼び方からもその様が想像できる。
醤油の「油」は、「油油=つやつやと美しいさま」からきているのではないかということを第292話で述べたが、それだけ、当時の人たちが醤油というものを見たとき、感動的に美しかったからそう呼ぶようになったのだろう。
それまでの日本、あるいは他の国では、調味料といえば、塩、胡椒、または砂糖という、ごくごく原始的なものを振りかけることが主であったが、醤油という万能の調味料を日本人は手に入れたのである。

その醤油造りを関東で最初に始めたのはヒゲタ醤油の創始者らしいが、下記のように組合が結成されるほどに隆盛を極めた。
・1750年頃銚子醤油組合結成、
・1780年頃野田醤油組合結成
・1820年頃関東八組合
銚子20軒、野田19軒、玉造25軒、川越15軒、千葉12軒、
成田7軒、水海道7軒、江戸崎4軒
これは醤油の原料である大豆、小麦、塩の産地が関東にも在ったからである。

もともと、大豆の原産地は中国大陸北部であるが、それが朝鮮半島を経由して縄文晩期か弥生初期ごろ九州へ上陸し、その後列島に広まった。
小麦はトルコ・イラク・コーカサス生まれで、前6750年ころに栽培を始めていたという人類最初の農耕物。これも朝鮮半島を経由して、縄文晩期か弥生初期ごろ九州へ上陸し、列島に広まった。
また、日本の古代は藻塩(海水から97%の水を除き3%の塩)であるが、9世紀から海水を濃縮する塩田方式が始まった。江戸時代には塩廻船が江戸に塩を輸送してきたおり、北新堀町(日本橋箱崎)の秋田屋・長島屋・渡辺屋・松本屋がその商いを牛耳っていた。また『武江産物誌』には「行徳塩」が掲載されているが、これが「江戸の塩」でもある。
ところで、だいじな水であるが、関東は関西に比して硬水だった。そこから関西とは違った醤油が生まれることになる。それが「濃口醤油」であるが、文化文政(19世紀前半)にその製法が完成した。
そして関東の硬水には「鰹出汁」がよく合った。とくに本枯節である。「枯節」自体は1710年代には生まれたようだが、19世紀になると「江戸本枯節=3番黴」が誕生し、さらには明治になって「明治本枯節」が生まれた。
ここに、
硬水+濃口醤油+鰹出汁:軟水+薄口醤油+昆布出汁という具合になって、味は東:西に分かれた。

さらに、砂糖味醂が加わった。
前2000年以前にインドで砂糖黍栽培始まり、砂糖は5、6世紀ごろ中国・タイ・ジャワヘ、そして日本の奄美大島に16世紀末~17世紀初に上陸し、その後8代将軍吉宗が国産を奨励、讃岐・和泉・河内で製糖を始めた。
焼酎+米麹+糯米で造る味醂は、中国から伝来、江戸時代には三河・京都・千葉が産地となり、1814年に関東の野田で万上白味醂が発売された。

かくて江戸の老舗蕎麦屋の蕎麦つゆが完成した。ただし、つゆは店によって少し違う。
砂場のつゆ=出汁+返し(醤油+砂糖+味醂)
更科と藪のつゆ=出汁+返し(醤油+砂糖)

これが「江戸の味」、つまり蕎麦つゆ、天麩羅のつゆ、佃煮の煮汁、鮨の付け醤油、おでんの汁、鰻の蒲焼の垂れ、焼鳥の垂れである。
私流にいえば、江戸の付けるつゆ:上方の飲むつゆに分かれたのは、19世紀からということになる。

余談だが、蕎麦つゆのことを「タレ」と言う人がいるが、それは間違いである。「タレ」とカタカナにしてしまうと戸籍を失ってしまった感がするが、「垂れ」は「垂汁」に由来する。その垂れは、濃口醤油+味醂を同割で作る。小鳥や鰻の肉の生臭さを消すために垂れるほどの濃い汁を使い、さらに同じ理由で薬味は山椒を使う。
ちなみに、焼鳥というと、今では鶏肉となっているが、江戸時代は鶫、鶉、鶸、山鳩、寒雀などの小鳥であった。日本人が鶏を食べるようになったのは、明治からである。

以上が、房総で醤油が生産されなければ、江戸の味はなかったというお話である。

*平成28年3月15日に千葉県の「さくら蕎麦の会」で話したことに加筆した。

〔江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる