第125話 新・江戸ソバリエ宣言へ

     

「江戸ソバリエ」誕生(十四)

 

☆『ヌードルの文化史』

 この秋、ある大きな書店で『ヌードルの文化史』(柏書房)という本を見かけた。著者を見ると、クリストフ・ナイハードとある。「おや。確か、氏とは《かんだやぶそば》でお会いしたことがあったな」と、私は彼から頂いた名刺にちょっとした特徴があったことを思い出した。

 その名刺というのは、表はカタカナで【ナイハード・クリストフ】とあり、裏面はアルファベット字で【Christoph Neidhart】とあったのである。

 何を言いたいかというと、日本語のカタカナで表記するときは日本流に「姓・名」の順に、アルファベットでは自国流に「名・姓」の順で記してあった。まさに「郷に入っては郷に従う」。そこに彼のアジアへの理解力の深さを感じとったのであった。

 紹介してくれたのは『ヌードル・ロード』を制作した韓国KBSテレビの李プロデューサーであったが、クリストフ・ナイハード氏と何を話したかまでは覚えていなかった。

 そんなことを思いながら目次を見ると、「江戸時代の蕎麦 ― 都市の発達と蕎麦」という頁もあった。さっそく買ってみた。

 そして、読んで驚いた。彼は「(ヌードルは) 日本では寺院から都市に伝わった」と言い切っているのである。

 まさに、このことが私が江戸ソバリエ認定事業に踏み切った理由であり、それゆえに、私が江戸ソバリエ認定講座基礎コースのテキストの中のA4版4ページもかけて「江戸ソバリエ宣言 ~ 蕎麦の味は江戸の水によく合う ~」を縷々書いた理由であった。なのに、彼はたった1行で片付けている。私は呆れつつ、すっかり感心してしまった。

 ナイハード・クリストフ氏の著書

 

☆またまた寺方蕎麦

 最近、「風評」という言葉を最近よく耳にするが、認定事業を始めた10年前のこんな話も風評のひとつではないだろうか。

 「蕎麦粉は信州まで買いに行かなければならないですか?」

 「寿司や天麩羅が高いのは分かるが、蕎麦は庶民の食べ物じゃないか。あんなに高い店は蕎麦屋じゃない!」

 この「信州」と「庶民」というキーワード。蕎麦通の方なら、間違ってはいないが、真実ではないことをご存知だろう。

 蕎麦は信州ばかりではなく、とくに東日本ならたいていの地区で栽培されている。また「寿司や天麩羅なら分かるが・・・」というところがおかしな点であるが、江戸前寿司や天麩羅とちがって蕎麦の歴史は長く、そのため蕎麦が庶民の食べ物の時代もあったが、それ以前は貴重な食べ物であった。

 簡単にいえば、江戸前寿司や天麩羅は屋台から出発し、食材を高級化することによって段々と特権的な食べ物になっていった。ところが、蕎麦の方は特権階級の食べ物から庶民へ浸透していったのである。その屋台で売られていた江戸前寿司、天麩羅の時代と、庶民化していった蕎麦の時期がちょうど交差したため、蕎麦は庶民だけの食べ物という誤解をうけているようである。

 しかし、それも無理からぬことで、例えば私も尊敬する蕎麦研究の泰斗新島繁先生ですら、その枠内の論であるし、それに続く人たちも新島先生が歩いた道の跡だけを辿っているにすぎないから当然であろう。

 そんな現状に物足りなさを感じていた私だったが、そんなとき出会ったのが伊藤汎先生の『つるつる物語』であった。目から鱗とはこのことで、私の思いは伊藤先生を知ることによって整理され、自信をもった。それが江戸ソバリエ認定事業に踏み切ることができた理由であることも度々述べてきた。

 だから、講座のテキストでは、「江戸ソバリエ宣言」として、蕎麦切が京の都から中山道、甲州街道を通って江戸へ入ってきたことを書くことができた。そしてその時期は町人文化が栄える以前の江戸初期であったことも。

 つまり、ナイハード・クリストフ氏のいう「(ヌードルは) 日本では寺院から都市に伝わって」江戸で花開いたのであり、それが江戸蕎麦である、と。

 また私は、風評常識を打ち消すには、①専門家による講師と、②総合講座の仕組でなければならないと考えて認定事業を立ち上げた。

 お蔭さまで、最近は少なくとも蕎麦通の間では、「江戸蕎麦」以前の「寺方蕎麦」という考え方が迎えられているような気がする。

 先日お会いしたヨネスケさんですら(失礼)、「寺方蕎麦」をご存知であった。

  そんなとき、出会ったのが、「(ヌードルは)日本では寺院から都市に伝わった」という台詞、しかも外人さんの著書であるだけに衝撃的だった。

 一瞬茫然となったその後に、私は「江戸ソバリエの役割の一つが終わった」ことを直感した。そして江戸ソバリエも「新たな階段を登るときがきた」ことを感じとったのである・・・・・・!

 〈新階段については、また後日!〉

 参考:「江戸ソバリエ」誕生(第108、95、94、93、82、60、58、57、54、53、51、50、46話)、クリストフ・ナイハード『ヌードルの文化史』(柏書房)、

 〔江戸ソバリエ認定委員長、エッセイスト ☆ ほしひかる