第155話 7月16日 深大寺、そば守観音 献そば式

     

季蕎麦めぐり()

  門というのは、その建て物の由緒を自ずと物語ることが多い。深大寺の石段の上に立っている、桃山時代の建造といわれる薬医門がそうである。いかにも威風を感じさせる。だから多くの人が足を停めて見上げたり、写真を撮ったり、絵を描いている人がいる。

 【深大寺の山門☆ほしひかる絵】

☆仏像を造るという事と 仏様に祈願するという事

 その山門の切妻茅葺の屋根をくぐると左側にそば守観音様が在す。

 今日も何人かの心ある人が手を合せて拝んでおられるが、ここで毎年秋には地元のそば組合による供養や献供式が行われている。

 石造の、この観音様が建立されたのは昭和38年。裏面に彫られた記録によると、願主は深大寺の鍛冶さん、資金は中島さんという方が、そして蕎麦屋「門前」の当時のご主人浅田さんが講元となって建てられたのだという。

そば守観音様

 そのことを知って思うことがある。そこに在す(1)仏様に祈願するということと、(2)祈願するための仏像を造ろうという志についてである。

 時を遙かに遡れば、最初に仏像というものが創られたのは、紀元1世紀ごろの西北インドのガンダーラ地方(パキスタン・ペシャーワル)においてだそうである。

 今でこそ仏像のない仏教は考えられないが、古代インド初期ごろの原始仏教においては「如来はこの世で最も尊く、その身は不可思議であるから、像貌することはできない」とされ、仏像にして拝することは禁忌であった。

 それが中期のクシャーン朝になると、インドに生まれた仏教思想をギリシャ・ローマ風の写実的な手法によって表現しようという動きが出てきた。最初は仏伝図が彫られ、次に主役が強調され、そして単独像が創られた。特にカニシュカ王の代の仏教美術は「ガンターラ美術」と呼ばれた。

 その仏教が中国大陸を経て、半島の百済から日本へ伝わったのが6世紀。当時の大和の人々は、自然界の、山や滝や巨木や大岩に宿る目に見えない八百神に祈っていた ― イヤ祈っていたというより、畏怖していたといった方が正しいのかもしれない。そこへ金ピカの偶像が伝わってきたから、さぞかし腰を抜かすほどに驚愕したことだろう。もちろん朝廷は上へ下への大騒ぎとなり、政治闘争へと発展した。だが、そのことはさておき、そのとき伝わった仏像は飛鳥仏、⇒ やがては白鳳仏(旧山田寺仏頭、薬師寺薬師三尊像、薬師寺東院堂聖観音像、法隆寺五重塔塔本塑像群) ⇒ 天平仏 弘仁・貞観時代 藤原時代 鎌倉・室町時代 ⇒ と国風化していった。

 と、仏像史を述べれば教科書に載っているような簡単な話となるが、その一つひとつを紐解けば、さぞかし大変な物語があっただろうことは十分想像できる。

 深大寺に伝わる白鳳仏の画

 ところで、そもそも「祈る」とは一体どういうことだろうか。

 国語学者によれば、祈り(イノリ)のノリは祝詞(ノリト)のノリと語源は同じだという。つまり、神の名を呼び、幸をもたらしてくれるように願うことの意である。しかし、そのような明確な祈願行為は明確な神仏像が存在してこそ可能なことである。野や山に棲むという見えない八百神を畏怖していた時代とは全く異なる世界であった。まさに、仏教東漸とは大和民族にとって宗教革命といっていい大事件だったのであるが、そういう歴史体験を経て、われわれは神仏像と祈願を等しい関係と感じるようになったのである。

 さて話を戻すと、そば守観音様を造立しようという志をもった先達が確かにおられた。そしてそのお蔭で、蕎麦業者や多くの蕎麦ファンたちが祈願することができるようになった。こうした関係は往古も今も変わりはない。

 そうした線上にわれわれ「江戸ソバリエ」も便乗させていただき、今夏から「献そば式」を行うことになった。

☆平成24716日、献そば式

 その日、これまでのご縁で江戸ソバリエ「石臼の会」(会長:山田義基氏)の有志が蕎麦を打ち、献上した。

 先ずは、厨房からそば守観音様へお練り、献上、読経とご焼香。 続いて、声明が流れる本堂へ。

 「・・・・・・♪ 無眼耳鼻舌身意♪ 無色聲香味觸法♪ 」

 「眼耳鼻舌身意」という経文には「六官」の意があるのだろうか、と思ったりしていると、白覆面をした江戸ソバリエ石臼の会の高橋さん、高島さん、興津さんが登場した。そして厳かに蕎麦を切り、本尊阿弥陀如来様に献上した。幾分緊張されているようだが、それがまたいい。

 撮影:池田満氏(江戸ソバリエ「石臼の会」)

 式が終われば、ご招待客への蕎麦振舞いである。多くの方々が「お寺という静謐な空間で頂く蕎麦は心が改まる味わいだ」とおっしゃっていた。

 そういえば、世界のどの民族も、祭儀の際には祭宴という共食文化をもっている。たとえばキリスト教ではそれを「聖餐」と呼び、日本においては「直会」といったりするが、それらの一部はもはや慣習となっている。

 だからこそ、偶には「神鐉神供を捧げて神との交流を図った後、神から与えられた物を共に食べる」などと硬いことを思ってみるのもいいと思う。

 参考:深大寺蕎麦(第155、154、132、128、124、48、36、9、7話)、

 季蕎麦シリーズ(155152149145143140136131130129)

 

〔江戸ソバリエ認定委員長、エッセイスト ☆ ほしひかる〕