コンビニ創業戦記 ローソンのルーツ「サンチェーン創業物語」(第40回)

     

<サンチェーン・ダイエーグループ時代(その22) 

――シテイ・コンビニエンスへの挑戦(20)―― 

「昭和の終焉」 

1989年(昭和64年=平成元年)は、サンチェーンにとっても、私個人にとっても極めて運命的な年になった。 

何といっても、この年の1月7日、昭和天皇が崩御されたことである。 

日本現代史の中で、戦前戦時の20年間、「十五年戦争」という不条理で苛酷な時代を、「現人神」として生き抜かれ、そして戦後の六十年余りを、平和日本の経済復興と世界第二位の経済大国実現の過程を、「人間天皇」として見守られた昭和天皇の崩御は、一つの時代の終わりを痛切に象徴するものであった。 

私自身、良い意味でも、悪い意味でも、昭和人間そのものであった。 

私は畏れ多くも、現在の平成天皇と同年代であるが、戦時中は熱烈な軍国少年であったし、戦後は純粋に民主主義教育を受け、社会人となってからは、ある意味で猛烈なビジネス戦士でもあったと思う。

そんな人間にとって、昭和天皇の崩御は、何かしら自分の心の芯棒が折れてしまったかのような強い衝撃を覚えるものであった。

1月8日、「平成」の新元号が、時の小渕首相から発表され、昭和の時代は終わりを告げる。

昭和天皇のご葬儀「大喪の礼」が2月24日に営まれることとなり、日本国中が喪に服する中、サンチェーン全店も、ダイエーグループと足並みをそろえて、服喪の弔意を全店において深甚に表したのである。

昭和の終焉と符節を合わせるように、サンチェーン、ローソン合併の動きが、急速に具体化していくことになる。

「対等合併・・(株)ダイエーコンビニエンス・システムズの発足へ」(1)

「ダイエー・コンビニエンス・トータルシステム」の共同開発・導入は、サンチェーン・ローソンの経営統合への条件整備・事前の地ならしを、着々と進めることにもなった。

昭和63年(1988)12月初め、ダイエーグループ中内功CEOから、ダイエーCVS事業担当の松岡さんと私、この年の5月から都築さんに代わってローソンの経営執行責任者になっていた太田清徳専務の3人が急に呼ばれ、直接、次のようなお話を受けた。

「いよいよコンビ二の時代が来た。

ダイエーグループとしてもコンビ二事業を、これからの戦略的中核事業と考えて居る。

IYグループのセブンイレブンに負けない競争力・成長力を発揮するために、そろそろ両社を経営統合し、対等合併してはどうか。

具体的には、松岡さんとよく相談して進めて欲しい」、

との中内さんの意思表示がなされたのである。

私は内心、「サンチェーン独自の道を歩みたいというロマン」が、道半ばで中断されることに極めて残念な思いがあり、暫くの間は、悶々と苦悩せざるをえなかった。

だが、ダイエーグループ総帥・中内さんの意志が一端、明確に示された以上、「否も応もない」と、断腸の思いで覚悟を決めたのである。

その上で数日後、次のような対等合併の基本フレームについて確認することとした。

確認すべき対等合併の基本フレームは、

1・新社名をどうするか

2・経営陣と組織体系をどうするか

3・店舗名の継続をどうするか の三つであった。

[1]・新社名に付いては、

①案・「(株)ローソン」、

②案・「(株)ダイエーコンビニエンス・システムズ」、

③案・「(株)ローソン&サンチェーン」 の三案が提示されたが、

中内さんは「鈴木さんの選択に任せる」、との意向を示されたので、私は第②案・「(株)ダイエーコンビニエンス・システムズ」と決めたのである。

この新社名の選択については、後日、ローソン側が猛烈な異議申し立てを行い、巻き返しが図られたのであるが、最終的に「(株)ダイエーコンビニエンス・システムズ」に決定されることとなる。

[2]・新経営陣に付いては、

「中内会長、松岡社長、鈴木副社長、太田副社長の四人体制」で行くとの提示があり、

私は代表権を付与されることを確認し承諾した。

新組織体制は、

サンチェーン・ローソンの二事業部制とし、本部スタッフは原則統合することとした。

[3]・店舗名に付いては、

当分の間、サンチェーン・ローソンの2本立てで継続運用する事としたのである。

以上のような対等合併に付いての基本フレームの確認は、サンチェーン・ローソン両社の加盟店や社員の混乱、動揺を最小限に抑えると共に、取引先にも不安を与えないための配慮を含むものであった。

この基本フレームを基に、両社内において、同時に、次のような「合併方針」の発表を行うこととした。

『第一に、1989年3月1日にサンチエーン・ローソン両社が対等合併し、

「新会社・ダイエーコンビニエンス・システムズ」を発足させること

第二に、同年5月1日に、新東京本社に統合・新組織体制を本格スタートさせること

第三に、以上を基本スケジュールとして、その具体的準備作業を遂行する実行組織として、「CVS合併プロジェクトチーム」を設置すること』である。

  

    <サンチェーン社内報「ひまわり」第190号の記事>          <日経新聞記事>

私は、1989年1月24日、東京上野のサンチェーン本社全体朝礼において、

この「合併の方針」を発表した。

そして、ローソンとの対等合併に臨む心構えに付いて、「サンチェーン魂」を発揮すべく、

①・これまで築き上げてきたサンチェーンのレゾンデ―トルを挙証しよう!

②・シテイ・コンビニエンスの精緻化・高度化を推進しよう!

③・全員が新DCVSの中核人材となろう!

の三点を強調したのである。

公表までの間は、両者共に秘密裏に協議を重ねたのであるが、直前になると合併の動きを掴んだ日本経済新聞の記者などに、執拗に追い掛けられ、自宅に待ち伏せされたりしたのも、今は懐かしい思い出の一つである。 

(以下次号)

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