第54話 子規の「舌学ノート」

     

「江戸ソバリエ」誕生()

 

 

☆子規の果物日記 

 半世紀ちかくも昔のことである。高浜虚子の弟子になり、俳人となった伯母から俳句をすすめられたことがあったが、「俳句は誰でも作れるから面白くない。和歌の方が日本人の心を映している。詩の方がロマンがある」と断ったことがあった。若気のいたりとはいえ、ずいぶん生意気なことを言ったものだと思い出す度に冷汗が出る。

 ただ、今もって和歌の「わ」の字も、俳句の「は」の字も、詩の「し」の字も知らない私ではあるが、芭蕉や子規については江戸・明治という新時代のファースト・ランナーとして、日ごろから尊敬してやまない。

 その子規は無類の果物好きだったらしく、林檎の「紅玉」「国光」「祝」などが名付けられた際、弟子の寒川鼠骨を通じて相談があったほどだったという。 

 子規の日記風随筆を読むと、彼のあらゆる事物への観察力の凄さに驚かされるが、ここで取り上げたいのは随筆「くだもの」である。そこに書かれている項目は観察学の参考になる。

《果物の見方》 くだものの字義、くだものに准ずべきもの、くだものと気候、くだものの大小、くだものと色、くだものと香、くだものの旨き部分、くだものの鑑定、くだものの嗜好、くだものと余、
《果物食べ歩き記》 覆盆子を食ひし事、桑の實を食ひし事、苗代茱萸を食ひし事、御所柿を食ひし事、

という具合に、先ずは字義から入って、《果物の見方》を述べ、そのあと田舎に行って、実際に《食べ歩いた記録》を残している。

 その記録には子規の無類の果物好きらしさが滲み出ている。 

 例えば《覆盆子を食ひし事》では、「突然左り側の崖の上に木いちごの林を見つけ出したのである。あるもあるも四、五間の間は隙間もなきいちごの茂りで、しかも猿が馬場で見たような痩いちごではなかった。嬉しさはいうまでもないので、餓鬼のように食うた。食うても食うても尽きる事ではない。時々後ろの方から牛が襲うて来やしまいかと恐れて後振り向いて見てはまた一散に食い入った。」

 あるいは《桑の實を食ひし事》では、「桑の老木が見える処へは横路でも何でもかまわず這入って行って貪られるだけ貪った。」

 

【桑の實☆ほしひかる

 

☆江戸ソバリエの「舌学ノート」

 子規の喰い振りのよさに圧倒された後に「これだ!」と、私が心の中で叫んだのはいうまでもない。

 すぐに蕎麦のチェック項目ができた。

 ◎  蕎麦麺はどうか? 汁は? 薬味は? 料理は? 酒は? 

  しかし、この項目をメモするだけではいけない。

 ①  一番大切なことはそれらの項目を評価する前に、自分の舌の実力はどうか? を知ることだ。それが「舌学ノート」と名付けた所以である。

 ②  そして、さらに大切なことは、その舌学ノートに無類の江戸蕎麦好きらしさが溢れていなければならないことである。

  江戸ソバリエの「舌学ノート」は、子規の果物好きがヒントになって誕生したのである。

参考:「江戸ソバリエ」誕生 (46話、50話、51話、53)

正岡子規「くだもの」(『ちくま日本文学全集―正岡子規』筑摩書房)、正岡子規「果実帖」(『子規全集』講談社 )、戸石重利『子規と四季のくだもの』(文芸社)、正岡子規『病床六尺』(岩波文庫)、

     〔江戸ソバリエ認定委員長、エッセイスト ☆ ほしひかる〕