第196話 江戸蕎麦めぐり⑦

     

大むら・大村庵の祖

 

 半日もかけて探していた物が、諦めかけたころにやっと出てきた。どうせ出てくるのなら、初めに見つかってもよさそうなのに、なぜか最後。安易なテレビドラマのようだが、本当のことだ。

 千代田区の図書館で午後いっぱいかけ、十冊ぐらいの古い地図や昔の住民台帖を虫メガネで調べるが、探し物は出てこない。「あゝ、夕方になってしまった。もう見つからないかもしれない」と思ったとき目的の物がある台帖に記載されていた。「九段二の一 大谷権平」。「これだ!」と小躍りして、別の古い地図帖で確認すると、「九段二の一」には「ソバヤ」と記されたものがある。さらにそのソバヤは現在の何処に当たるのかを最新地図で照合して、調査作業を終え、ふ~と溜息をついた。

 【幻の大むら

 私が調べていたのは幻の蕎麦店「大むら」の在り処だった。愛知県渥美半島出身の大谷権平という人が始めた店だが、創業した年は不明である。

 街を見渡すと、「大村庵」とか「大むら」とかいう暖簾の蕎麦屋さんがたくさんある。これらの根は一つで、ここ九段にあった「大むら」という店が源だ。この店で弟子となり、修業した者が独立していって「大村庵」とか「大むら」を名乗っていったのであるが、その数は200軒ちかくはあるだろう。

 だから、「大むら」の源を特定しようと思い立ち、「大むらが何処に在ったのか?」を 関係者にお尋ねしてもその場所は、「知らない」「分からない」の返事ばかり。せいぜい「戦前まで九段坂上に在ったらしい」とか、「大村益次郎の銅像が見えたから、『大むら』と付けたらしい」とかの、「らしい」ばかりで実に頼りない。

 マア大村益次郎のことは話の尾鰭だとしても、「九段辺り」というのはまちがいなさそうだ。だったら、千代田区の図書館に行っての古い地図を見るだけ見てみよう、と思って冒頭の調査となったのである。

 ともあれ、史料確認を終えて図書館を出た、それから現地へ行って、ちょうど九段坂上の交差点辺りに立つと、たしかに大村益次郎像が丸見えである。

 「なるほど!」と感心した。ここが伝承の面白さである。史料には記録として残されていないが、「大村益次郎の銅像が見えたから、『大むら』と付けたらしい」という人々の記憶は正しかったのである。

 史料と記憶、これを追跡していくのが復玄のロマンであろう。

〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる