第791話 つながる、「引越蕎麦券」の話

     

 江戸ソバリエ協会の稲澤さんと打ち合わせをするために、大塚「小倉庵」(江戸ソバリエの店)に行った。
 当店は厨房は店主の安藤さんと奥様が、店は安藤さんの妹さんが担当されている。当日、少し早く着いたところ、妹さんが「4月の日経新聞にほしさん載っていましたね」と言われた。
  その記事は、記者さんによる「引越蕎麦」に関するものだった。
  3月ごろ日経新聞から、春は転勤の季節なので、「引っ越蕎麦」について書きたいから、1)蕎麦について、2)引越蕎麦について、3)もし何か思い出があるのだったら、それも聞かせてほしいということだった。
   新聞記者さんというのは、ネタがないときは暦を見るという。そうしたら年末だったら年越蕎麦という風に、春だったら・・・、夏だったら・・・、冬だったら・・・と暦には記事のヒントがあるというわけだ。
  そんなわけで、お会いして1)2)3)についてお話した。
  そして、このなかの引越蕎麦の思い出も私はもっていた。
  社会人1年生のころだった。荻窪のアパートに学生時代から住んでいた。ある日、私の部屋の前に、ある人が引越してきて、「引越蕎麦券」をくれたことがあった。それを近所の某蕎麦屋に持って行けば、蕎麦を食べさせてくれるというものだった。初めての経験だったので、ありがたく頂戴して、蕎麦を食べに行ったことがあった。
   記者さんから「どんな蕎麦券でしたか?」と尋ねられたけど、もう半世紀も前のことなのではっきりしなくて、名刺大のガリバン印刷のようなものだったぐらいの記憶しかない。ただ、蕎麦史では「引越蕎麦は大正末か昭和初には廃れた」というのが一般的な説になっているが、どっこい昭和40年代でも見られたのですよというのが私の話だった。

   ところがところが、さらにどっこいで、小倉庵でその話に話が咲いて、「蕎麦券はうちに残っていますよ。それを引越蕎麦券や贈答用として利用してくれるお客さんのために用意しておいたのです。もう20年ぐらい前だったかな」ということだった。つまり平成14、15年ぐらいのことだという。
  その日は、それから稲澤さんと《芥子切》と天麩羅を食べ、そして小倉庵に蕎麦券が残っていたことに、驚き、感動しながら家に戻り、パソコンを開けてネットを見たら、またまた驚いた。
   北池袋chojuan(江戸ソバリエの店)の飯高さんが、鈴木さん(江戸ソバリエ)にお宝の「蕎麦券」を見せてもらったとの話を掲載されていた。
   そんなわけで、蕎麦券の話が次から次へと展開したという、これ本当の話。次はどんな話になるのだろう。

             〔江戸ソバリエ ほし☆ひかる〕