第485話 天壇に想う

      2018/05/03  

北京紀行-5

「今回の北京紀行で、どんな絵を描くのですか、楽しみにしていますヨ。」
こんなプレッシャーを、北京プロジェクトの仲間である佐藤さんにかけられていた。
北京のシンボルといえば、故宮(紫禁城)か、天檀だ。その「天壇を訪れたい」と、プロジェクト・メンバーの赤尾さんに言われていたにも関わらず、実際は時間がなくてとうとう行けなかった。市内を移動している最中に遠景として眺めたり、食事に行く途中に夕闇に佇つ姿を観ただけだったから、本当に申訳なかった。
ただ私は前に訪れていたので、その記憶を辿ってみたが、その派手な色彩の天壇はとても描けそうにない。と思っていたところ、食事が終わった夜、急に襲ってきた寒気に震えながら地下鉄の駅まで歩いて行ったときに観た天壇に、「これなら描ける」と目に焼き付けておいた。

「天壇」とは? 日本人には耳慣れない言葉である。しかも異様な建造物だ。類似するのは五重塔かとも思うが、それとはちょっと違う。
この天壇は、「王によって行われる祀天祭地の場」だといわれれば、日本の伊勢神宮みたいな所かとも思う。的外れではないかもしれないが、やはりこれも異なる。というのは、そこに立ってみると、圧倒されるような力、そして妙な孤独感に見舞われるが、伊勢神宮のような厳かさは感じられない。
よく日本人の性格を表現するのに〔山葵〕と〔唐辛子〕にたとえていわれることがあるが、日本特産の山葵の辛さに遭遇したとき、蹲って「う~」と辛さをじっと我慢しているのが日本人。一方の〔唐辛子〕は「ウワッ、辛い!」と大声で辛さを訴える韓国人や中国人にたとえられるという。
この「大声で訴える」場として天壇は最適だという気がする。王者が、天に向かって両手を上げて天下統一と泰平を大きな声で叫び、同時におのれが天命をうけたこの国の王であることを広く庶民に宣布するのにうってつけなのだ。井上靖の言を借りれば「一大野外劇場」、それが天壇である。
では、なぜそのような舞台が生まれたのか?
それは、中国には神が存在しないからだと思う。日本には見えない神や見える仏が在すが、中国にあるのは【天】である。といったら言い過ぎだが、神がいたとしても天の方が勝る。だから、その偉大なる天に向かって大きな声で申告する場が必要となる。しかし、大声を出しても神ではない天との交信は成立しないことを王は知っていた。したがって、その大声は庶民に聞かせる演出だったというのが本当のところだろう。
では、大声を出しても届かないなら、天との交信を王者は期待してなかったかというと、そうでもない。
他の手段で、天との交信をなしていた。
その手段が「漢字」だった。
中国殷(河南省)時代には、最古の漢字とされている甲骨文が用いられていた。王者は亀の甲羅や牡牛の肩甲骨に穴を開け、そこを焼いたときに生じる亀裂の形を見る。それで王者は天の意思を知るのである。
天と王との交信手段、それが漢字の役割であった。つまり漢字とは形を見て意味をくみ取る表意文字ということがここで分かる。
一方の表音文字として現在広く使われているアルファベットは商取引の必要性から考案されたということが定説になっている。
では、両者の字は現実にはどう違ってくるのか?
たとえば、表意文字である漢字は「蕎麦」という字を見ただけで、(蕎麦)と理解できる。ところが、表音文字では「そ」と聞いて、次に「ば」を聞くまでは、(そば)ということを理解できない。理解までの時間がかかるというわけだ。
よって、天は素晴らしい字を人間に与えてくれた。だから表意文字は表音文字に比べて「格が違う」。それ故に漢字はベトナムや、朝鮮半島や日本列島にまで及んだ。これらを【漢字文化圏】という。
そんなことを想っていると、この天壇はある意味、漢字文化圏の中心にあるのかと思えてくる。
ところが、この文化圏は、われわれに関係の深い【麺(蕎麦)文化圏】【米文化圏】や【箸文化圏】と重なっている。どうしたことか?
その解答は、われら日本人は何処から来たのか? という大きな課題を考えることによって得られる。
アフリカで誕生した新人類(ホモ・サピエンス)は、アフリカを脱してメソポタミアに辿り着き、その一部はアジアを目指す旅に出た。ある集団はヒマラヤ北方のモンゴル・中国・朝鮮へと、別の集団はヒマラヤ南方のインド・東南アジアへと進んだ。
北方ルートを辿った集団は朝鮮半島・対馬を経由して、日本の九州北部に至り、日本人の祖先となった。それが3万8000年前の太古である。彼らはさらに九州の南部や東へと進行していった。もう一方のヒマラヤ南方ルートを辿った集団も、遅れて九州南部に上陸した。二つの集団は日本で巡り合い、ここに定住した。
この日本人の祖先の遥かなる長い旅路が、目に見えない文明のルートとなった。漢字も、箸も、麺も、このルートを通って伝来するのは自然のことであった。

そんな果てしない物語を想像しながら、天壇を描いてみた。
ところが、でき上がったものは、絵画というよりややイラストっぽくなってしまった。後は、どう手を加えようかと思いながら、とりあえず電気を消して寝ることにした。すると、蔭の中の天壇の絵は、あの寒かった北京の夜に浮かぶ天壇と同じに見えた。
「この絵は電気を消してご覧ください」という注意書でも添えておこうか!

〔文・絵(「夜景天壇」) ☆ 北京プロジェクト ほしひかる