第525話 大根比較小論

     

~日中蕎麦交流から~

ここ浅草の待乳山聖天(本尊:大聖歓喜天)では毎年1月7日に大根まつりが催されている。以前に一度お詣りに来たことがあるが、浅草に用事があったので、何年ぶりかでまた寄ってみた。
歓喜天のご神体は、どこも男女相擁した快楽的な像だ。ただあまりにも性的すぎるからだろうか、多くは秘仏になっている。
そもそもが宗教の崇拝像というものは、たとえばキリスト教はキリスト像が主体(マリア像もある)だが、仏像には如来・菩薩・明王・天というのがあって複雑だ。そのうちの天には、さらに四天王・大黒天・帝釈天・梵天・毘沙門天・吉祥天・弁天・歓喜天(聖天)などがいて、いずれも「現世利益を願う庶民信仰の対象となっている。
また、日本の寺社には絵馬というのが必ずある。歓喜天の場合は「二股大根」か「違い大根」である。性が白い二股大根に連想されてのことだろうが、世間というものは分かりやすい発想ほど支持されるものであるから、「歓喜天=大根」はすっかり定着した。

 その大根といえば、蕎麦通なら「《いなか蕎麦》と《擦し辛み大根》はよく合う」と誰しもが思うことである。
ただし、これは極めて日本的な味わい法であって、海外では辛み大根はあまり見当たらない。たぶん国によって土壌が違うせいであろう。それにまた大根を擦すこともまったくない。
「辛味大根」は京都辺りが発祥で、それが列島を北進したらしい。
また、川上行蔵によれば、〝擦す オロス〟という料理法の初見は進士流の料理書『庖丁譜並びに調理抄』(1537年刊)の《擦し大根》や、『多聞院日記』(1582年)の《擦し山葵》あたりだという。要するには、擦すというのは日本独自らしい。
日本の大根は中国伝来ではあるが、大根そのものが歴史も古く種類も多いので詳細はよく分かっていない。一応、発祥の地はコーカサスとかパレスチナ地帯だとかいわれており、それが世界を廻って現在は「中国大根」「日本大根」「ヨーロッパ大根」が主となっている。ただ、中国・日本は古いがヨーロッパへはやっと15世紀ぐらいに伝わった。
「中国大根」には華南型と華北型などがある。日本には華南も華北も伝わって来て独自の「日本大根」に発展した。華北型は辛めで、華南型は煮るのがもったないほど甘いという。聞くところによると、重慶市万州区産の大根はシャリシャリして甘く、「梨より旨い大根」として評判だという。一度食べてみたいものだ。

昨秋、北京を訪れたとき、薬味大根を求めてスーパーに寄ってみたが、やはり「日本大根」とは違って、「中国大根」は赤や緑色で、根は短め、全体的に小さく、丸っぽかった。「たかが〇〇、されど〇〇」という言い方は大根にも当てはまるようだ。
そういうこともあって、帰国してから日本の大根行事に身を置いてみたかった。それにしても今日の聖天様は参拝客でいっぱいだ。
ところで、この待乳山聖天が重要なのは、実は大根まつりばかりではない。
江戸初期のこの門前に日本史上初の外食店が誕生したことを忘れてはならない。そしてそれに刺激されて江戸の浅草や日本橋で蕎麦店が開業されたこともソバリエとしては見逃せないだろう。
参拝客の賑わいの中でそんなことを思いながら、いつものように御朱印を捺してもらい、本来の用件へと向かった。

〔文・写真 ☆ 江戸ソバリエ認定委員長 ほしひかる