第848話 麺を洗うということ

      2023/07/15  

☆蕎麦
『蕎麦のひみつ』の出版の折に、蕎麦打ちの実演を更科堀井の藤田華菜さんにお願いした。その撮影現場では、彼女の蕎麦打ち、茹で、水洗い、全ての過程が恰好良かった。
 本が上梓されたころ、大塚の『岩舟』へ蕎麦を食べに行ったら、ご主人が『蕎麦のひみつ』を買いましたよ。蕎麦打ちの藤田さんはスゴイ方ですね。写真でも分かりますよとおっしゃった。やはり分かるものだと思った。

☆インスタント・ラーメン
  そんなころ、更科堀井の社長から「インスタント・ラーメンも茹でた後、水洗いすると美味しいよ」と教えてもらった。
  さっそく自宅で試してみた。たしかに、スッキリした食感のインスタント・ラーメンになって、いつもより美味しかった。ただ社長はむしろ「蕎麦の水洗いということが素晴らしいのだ」ということを社長はおっしゃりたかったのだと思った。
   そこで水洗いということについて今までより意識するようになった。

☆うどん
 私の家の近所に筑後産の小麦を使った九州のうどん店がある。店長と若い人が働いている。だいたい女性客が多い。
 店内はカウンター式になっているから、注文してから出来上がるまでの過程が観える。釜で湯がいて、麺を水で洗う。そして一人前を金網の笊に入れてもう一度お湯に浸けて温め、丼に移し、つゆを入れて具を載せ、「ハイ、おまちどうさま」とカウンター越しに渡してくれた。
 「水で洗うの?」と訊いたところ「ハイ、締まりますからね」と言う。たしかに締まるだろうけど、それをまたお湯で温めるのだから、締まり具合はどうだろう。むしろ洗いは滑りをとるところに意味があるのでは?」と思ったりした。

☆ラーメン
 私の家の近所にラーメン屋さんがある。まだ入ったことがないけど、いつも通るからそこそこ繁盛していることは知っていた。
  最近、洗いを意識しているので、ラーメンはどうなんだろうと思って入ってみた。満席であったため、少し待った。
 中年の夫婦が営む店であった。お客は男性ばかりであった。
 カウンターに着いてから、私の《ラーメン》が出来上がるまでを観ていた。
 しかし洗いはなかった。やはりスッキリ感はなかった。
 ところがである。隣の席の若い客は《つけ麺》を注文していたが、彼のはよく洗って皿に盛って、別仕立ての汁とともにカウンターに並んだ。
 1軒だけでは何とも言えないが、《ラーメン》は洗いはしないが、汁が別仕立ての《つけ麺》は《蕎麦》のように洗うんだと理解した。

☆珈琲
 ソバリエの小池ともさんと齋藤利さんと和田カズさんとご一緒に目白の「おさめ」に蕎麦を食べに行った。
 この日は《対馬》《伯耆》《山形三角蕎麦》を堪能した。
 ちょうど、《山形三角蕎麦》の生産者さんが見えていた。ずっと以前に一東庵でお会いしてから、久々の再会だったが、今日頂いた資料には、一東庵で撮った集合写真が掲載されていた。そして今日もまた集合写真を撮った。
 余談になるがひとつ慶事をご紹介したい。
 店主の納さん若夫婦に赤ちゃんが生まれていた。女将に抱っこされた女児はまた21日目。ちっちゃくて実に可愛い。ほんとうなら写真をここに載せたいところだが、お子さまの写真掲載は控えておこう。

  「おさめ」の帰り、珈琲を飲みに行きましょうということになった。
 理由は、私の気管支喘息闘病記を読まれ、一カ月に及ぶ身体の不具合から私が立ち上がろうというとき、珈琲の味覚を頼りにしようという一文から、「美味しい珈琲を飲みに行きましょう」ということだった。優しい気遣いに感謝しながら、ご一緒した。
 その店は東長崎にあった。東長崎焙煎所といった。
 小池さんは、この店は焙煎する前に豆を洗っていると聞いて、私を案内してくれた。それだけに、たしかにスッキリした味だった。気に入って、ニカラグア産のやや深煎り豆を買って帰った。

 これまでは、出来上がった麺を洗うか、洗わないかの話だったが、この度は食材をよく洗おうという話だ。どちらも、料理の中の〝洗い〟は、目立たないようだけど扇の要なのかもしれない。

             〔江戸ソバリエ協会 ほし☆ひかる〕