第230話 音楽のある蕎麦屋のための、序奏♪

     

 

 ドイツの作曲家テレマン(1681~1767)が作った曲で『食卓の音楽』というのがある。聴くと、その癒しの旋律は朝食時にはなかなかいい感じである。だが、蕎麦には不似合いだろう。

 蕎麦はモダン・ジャズがよく合うといわれている。なぜか ― 理由はないが、あえていえば「蕎麦もジャズも、で生まれて都会で完成した」という共通点があるせいだろうか!

 そんな屁理屈はともあれ、いい曲というのは、記憶に残る味と同様にあればあるほど人生に一味、彩りを添えてくれる。だから、今日は忘れられない曲などを軽く口ずさんでみたいと思う。

. 草笛「惜別の歌」& ロリンズ「橋」

 大学の野尻湖合宿が終わってから、友人たちと善光寺の門前で蕎麦を喰い、途中下車して小諸城址へ立ち寄った。そこで出会ったのが黒衣の乞食(?)坊主。彼が奏でる草笛に、そのころ話題になっていたソニー・ロリンズのジャズ・サックスが重なって聞こえたことを今でも忘れられない。というのは、1950年代の末に自分の演奏を見詰め直すために引退したロリンズは、ニューヨークのEast River に架かるWilliamsburg Bridgeの上で練習を重ね、60年代初頭に復活したばかりであった。そのときのアルバムが『The Bridge』というタイトルであったが、それによってロリンズの橋の上の練習が新しい伝説となったほどであった。

 最近のロリンズのサックスは奥深い音質であるが、当初の彼はまだ20代、キレのある演奏だった。そのキレが草笛の音と同じように感じたのであったが、加えて31歳で復活したロリンズの一曲「橋」にはとくに覇気があった。

 私は、会ったことも見たこともないロリンズの姿が目の前の修行僧らしき人物と重なって見えた。当時の音楽雑誌によると、ロリンズの引退と死にもの狂いの練習は、麻薬を断ち切るための闘いだったという。当時、私は21歳。若すぎる私には、小諸城址で出会った40~50代の坊さん ― そもそもが黒衣を纏っているものの、僧侶かどうかも判らない ― は謎だった。この人の流浪も何かと闘ってのことだろうかと想像するが、行きずりのわれわれに彼の人生が分かろうはずがない。ただただ、その僧が奏でてくれた「惜別の歌」の香ばしさが胸に迫り、今も私の耳楽コレクションのNo.1として耳の奥に色濃く残っている。  

 そんな私も60代の後半になった。知人に誘われ、昨秋ニューヨークに行く日がおとずれたとき、イースト・リバーを周る船に乗った。ブルックリン・ブリッジの真下を通って、マンハッタン・ブリッジを目前にし、さらにウィリアムズーバーグ・ブリッジを遠望した私を、四十余年の戦慄が川風とともに襲ってきたのであった。

 【サックス☆ほし絵】

 

. アンソニー「Brucia La Terra (太陽は燃えている)

 若いころ弟のようにかわいがっていた後輩にSという男がいた。彼はいつもマイクを握ると『ゴッドファーザー』のテーマソングをご満悦顔をして歌っていた。今の人はカラオケも上手だが、そのころはまだカラオケというものが一般的ではなかったから、たいていはギターかピアノの伴奏付きだった。だから伴奏者は、どんな自己中の歌にでも合わせてくれたものだった。

 そのときのS君の歌はともかくとして、映画『ゴッドファーザーⅢ』の中で、マイケル・コルレオーネの長男アンソニーが哀調を帯びて歌う「Brucia La Terra(太陽は燃えている)」は、父親というものの気持を揺さぶるようないい歌だった。

 ゴッドファーザーであるマイケル・コルレオーネは、妻子を誰よりも深く愛していた。であるのに、抗争の毎日。ついに妻子はマイケルの元を去った。数年後、成人した息子とやっと仲直りした父、その父のために息子がシチリア・パレルモ ~ 当地は乾燥パスタ発祥の地であるとして知られているのだが ~ で唄うのが「太陽は燃えている」であった。息子の、哀愁のある歌声に父マイケルは目頭を押さえる。そして、一緒に聞いている愛娘は、自分の後継者と恋に落ちようとしている。修羅場をくぐってきたゴッドファーザーはそれが不安でたまらない。「敵は、一番愛する者を襲ってくる」ことが分かっていたからだ。父は娘を守るために、ゴッドファーザーの椅子を手放す決心をする。しかし、遅かった。またしても破滅的な悲劇が家族を襲う・・・・・・。

 あの哀しげな歌は、このことを予告していたのであった。

. 高樹のぶ子『ショパン』

 音楽家の愛の物語で最も知られているのは、ショパン(28歳)と作家ジョルジュ・サンド(34歳)の関係だろう。1838年、知的で豪腕な六歳年上の女が繊細な天才ピアニストを地中海マヨルカ島に連れ出した。それから二人はパリから馬車で30時間ほど離れたノアン村のサンド邸で暮らすようになる。年上の女は若い男に献身的に尽くすが、そのうちに男は女の子供たちとうまくいかず、9年後に別れることになる。

 この、サンドとショパンの物語を描くのにもっとも相応しい作家は高樹のぶ子さんだろうと思っていたら、やはり『ショパン 奇蹟の一瞬』という本を上梓された。本には高樹さんが選んだノクターンやプレリュードなど15曲のCDが付いていた。ピアノはヴラディミール・アシュケナージとマルタ・アルゲリッチ。「映画音楽」ならぬ「小説音楽」付きというわけだ。

 作者は、スペインのマヨルカ島やフランスのノアン村を訪れ、名曲誕生の秘密を探ろうとする。女性作家だからサンドの立場で二人の交流を想像されるかと思ったら、高樹さんはショパンの中へ入っていく。そしてわれわれは、強い女のしっかりした手の温もりに安心感をいだく若いショパンを知る。

 ショパンの曲を聴きながら、私は想像した。年上の女が持つ聖母のような手から、あの艶やかな甘い名曲が生まれてくるところを・・・。

. フラメンコ・ギター『ミッション-インポッシブル2

 イギリスの作家カズオ・イシグロの小説「老歌手」を読んでいるとき、ある曲が聞こえてきた。それはフラメンコ風のギターだった。いうのは、昨夜テレビで見た映画『ミッション-インポッシブル2』の、~ トム・クルーズがやたらと変装しまくるのは、どうかと思うが ~ 例のテーマ曲とはちがう別のフラメンコ風のギターの、少し寂しげではあるが心地よい音の響きが実に印象的で、翌日になってもまだ耳に残っていたからだった。

 小説「老歌手」の舞台はベネチア・サンマルコ広場。流れのギタリストがかつての大物歌手を見かけたところから物語は始まる。母がその大物歌手の大ファンであったことを思い出し、彼はつい声をかけるが、話しているうちにその歌手は「頼みがある」と言う。聞いてみると、妻の居るホテルの窓の下までゴンドラで行って、そのままゴンドラから歌をプレゼントとしたいと語る。60代の夫と50代の妻という二人だが、それでも少年のような情熱が・・・と思いきや、そうではなかった。歌手として再起を図るために妻と別れるのだが、別れても愛している妻のために歌ってあげたいというのだ。

 「別れても愛している」とは、現実にはあまりありえないだろうが、小説ならではの設定だろう。果たして、妻は夫の歌にどう反応するか? 思わずストーリーに引っ張られる。読んでいる私には、生憎その歌手 ― トニー・ベネットがモデルではないかと思うが ― の甘い歌声までは聞こえなかったが、滑るゴンドラの上で、しがないギタリストが爪弾く曲は、昨夜の映画のようにちょっとモノ悲しいフラメンコ風の曲ではなかったかと思った。こういう曲は、得てしてクセになる味を隠しもっているものだ。

  イシグロの小説のサブタイトルは「音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」となっていた。私は、これからも夕暮れになるとギター音楽が耳に聞こえてくるだろうと思った。

. T.M.RevolutionCLOUD NINE

 音楽雑誌『CD&DLでーた』(KADOKAWA/3月14日発売)から、T.M.Revolution の西川貴教さんとお蕎麦を食べながら、話してみませんかとの依頼が入った。

 音楽は嫌いではないから、「私でよかったら」とお引き受けし、お会いする店に神楽坂の「東白庵 かりべ」さんを選んだ。

 それはいいが、私は若い人の音楽は詳しくない。そこで、お会いする前にアルバム『CLOUD NINE』を聴いてみた。

 その日は、雪が深深と降り続けていた。窓から見上げると、雪が遠い灰色の彼方から尽きることなく舞い落ちてくる。数十年ぶりの大雪だった。そういえば藤あや子さんにも「雪深深」という歌があるが、こちらは激しい吹雪を思わせるほどに情熱的な唄だ。

 しかしながら、今日は静かな大雪。その中で西川さんの音楽を聴いていると、何か宇宙的な永遠性につつまれてくるような、えも言われぬ味がした。

 こういう彼の幻想的な宇宙感覚が、『るろうに剣心』とか『ガンダム』とかのアニメ的な世界とマッチしているのかもしれないだろうと思って、もう一度聞いた。

 そして私は思った。これからも遠い世界から落ちてくる静かな雪を見る度に、この曲を想い出すだろう、と。

 西川さんと「かりべ」にて

 

. ピアノ「ロマンス」

 親しくさせていただいているお蕎麦屋「小松庵」さんが本店を移転されたため、その祝賀会が2014年の2月24日に開かれた。

  これまでのお店は駒込駅を右へ出て古河庭園の方へ向かう途中にあった。『ノルウェイの森』の〝僕〟と〝直子〟がビールを飲んで、蕎麦を食べたとされる店だ。

 新しい店は改札口を左へ出てすぐの六義園染井門の前にある。お店の2階は現代風で明るい和の装い、1階はモダンでシャレた洞窟の様。部屋の中心で輝いているシャンゼリゼが素敵だ。奥様が、ニューヨーク・セントラルパークの近くのお店で見て、「あゝ、小さなシャンデリアってこういう風に使うんだ」と思って採り入れたとおっしゃった。

 祝賀会の日は一日中、クラシック・レコードと、ピアニストの田下実さんの弾く曲が流れていた。レコードの音質はデジタルより後味がいい。そして田下さんのピアノには曲への愛情が感じられた。だからだろうか、社長が時折チェロを、奥様がヴァイオリンをピアノに合わせて奏でられるが、お二人とも「田下さんの伴奏は、弾きやすい」とおっしゃる。それにしても何というご夫婦だろうか。並んで座っておられるお二人を見ると、「箸は夫婦と同じ、二本揃って一人前」という言葉に肯いてしまう。

 そんなことを考えているところへ田下さんが、ある曲を弾き始めた。甘く切ないメロディだけど、ショパンとはちがってややオリエンタル風なところがあった。初めて耳にする曲だったので尋ねてみると、スヴィリドフの『吹雪』の中の「ロマンス」ということだった。私は音楽に詳しくないから、「スヴィリドフ」という音楽家は知らなかった。でも、何かロシア人らしい名前だと思った。そしてロシアといえば、プーシキンの「吹雪」という恋愛小説があったナなんて思っていたら、隣に座っている人が、「これは、キムヨナのフィギアスケート曲ですよ」と教えてくれた。「ははん」と思った。何が「ははん」かというと、ピアノ、恋愛小説、ロマンス、女子スケート、みんなひとつのイメージでつながったような気がしたからだ。

 そう思いながら私は、田下さんが奏でる曲の中に「音楽のある蕎麦屋」の絵を想像していた。

 

シャンデリアとピアノ☆ほし絵】

 

参考:TELEMAN『Musique de Table』(Orchestre de Chambre Jean-Francois Paillard)、Sonny Rollins『The Bridge』(1962年)、ニーノ・ロータ、カーマイン・コッポラ音楽『ゴッドファーザーⅢ』(1990年)、BT、ハンス・ジマー音楽『ミッション-インポッシブル2』(2000年)、高樹のぶ子『ショパン奇跡の一瞬』(2010年)、村上春樹『ノルウェイの森』(講談社文庫)、T.M.Revolution『CLOUD NINE』(2011年)、『CD&DLでーた』(KADOKAWA)、ゲオルギー・スヴリドフ『吹雪』より「ロマンス」(ニコライ・カリーニン指揮オシポフ・バラライカ・オーケストラ)、

〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる