第277話 天皇のお蕎麦
「天皇のお蕎麦」として知られる老舗蕎麦屋がある。明治7年創業の「竹老園東家」だ。北海道・釧路が本店だというから、近くに行った折に寄ってみた。
古来より、わが国は何かにつけて五穀豊穣を願ってきた。その五穀というのは、米・粟・麦・小豆・大豆のことを指しており、蕎麦は入っていない。
だから、室町時代あたりから宮廷で麺が食べられるようになっても、それは小麦粉製品の素麺であった。
とはいっても、蕎麦切をまったく口にしないわけではなかった。たとえば、江戸前期の歌人冷泉家14代為久(1686~1741)が霊元上皇から蕎麦切を賜ったときに献じたという「寄蕎麦切恋御歌」が残されているが、それを見る限り宮廷でも江戸前期ごろには薬味に葱を添えた蕎麦切が食べられていたようである。
呉竹の 節の間もさへ 君かそば きり隔つとも 跡社離れめ
とわまほし そばはなれ得ぬ 俤の 幾度袖を しほりしるとは
君なくば 誰が袖触れし 移り香の 匂を添えて 我をたづねき
― 冷泉為久 ―
さて、「竹老園東家」のお蕎麦であるが、4代目の伊藤正司さんや5代目の純司さんのお話によると、昭和・平成の天皇陛下が召し上がられたという。
先ずは昭和天皇皇后両陛下である。両陛下の北海道巡幸の折の昭和29年8月16日の夕食に「竹老園東家」のお蕎麦が加えられることになった。
当日の御献立は、「六園荘」の調理人加賀谷熊吉氏の【女奮和え、ほっけの刺身、秋刀魚の塩焼、鱈場蟹、三平汁など】の12品の郷土料理と、「東家」3代目の伊藤徳治の【蘭切りに大根卸と海苔の薬味】であった。昭和天皇はお蕎麦をお代わりされた。徳治は感激のため涙が止まらなかったという。
そして昭和59年には、皇太子殿下美智子妃殿下が第39回冬季国体ご観覧のため釧路へお越しになり、湿原のレストランにてご昼食をとられたが、そのときは「東家」4代目の伊藤正司さんがご接待をお引受することになった。両殿下は、【蘭切り、茶蕎麦、蕎麦寿司、柏抜き】を召し上がられ、妃殿下から「美味しくいただきました」とのお言葉を頂いたという。
そういえば、一昨年だったか、昭和天皇の料理番であった谷部金次郎先生と深大寺でお食事をする機会があったので、「昭和天皇はお蕎麦が大好きだったとお聞きしていますが、」とお尋ねしたところ、毎月晦日には谷部先生が打ったお蕎麦をお食べになられたということだった。
それをうかがって、お蕎麦はやはり日本の食文化だとの深い確信をもった。
写真:竹老園東家より拝借、寄蕎麦切恋御歌・白遊書
〔江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる〕