第72話 神田神社「四條流庖丁式」
神田明神の祭神は平将門様(~940)、大国様、恵比寿様である。そのうちの大国様は〝農〟の神、恵比寿様は〝漁〟の神というわけでもないだろうが、この三神に毎年三つの食が奉納される。五月の神田祭に執り行われる(一)献茶式と(二)江戸蕎麦奉納、そして一月の(三)庖丁式である。
一月のその日、境内に神楽の音が流れてきた。鳥帽子・直垂をまとった12名の庖丁人や神主らが本殿に昇り、お祓いを済ませると、三方に載せた鯉、庖丁、真魚箸を捧げ持った庖丁人たちが大俎が据えられた本殿脇の式場に向かった。「松崎天神絵巻」など古い絵には大俎が描かれており、『四條流庖丁書』にも「長二尺七寸五分、廣一尺六寸五分、厚三寸、足高二寸五分・・・」とあるが、式場に据えられた俎もかなり大きい。
今日の庖丁式を執り行う庖丁人は四條流16代家元だという。先ず三方に載せた鯉が運ばれる。次に庖丁と真魚箸を載せた三方を運ぶ。その三方には菊花が添えられていた。『庖丁書』には真魚箸の長さ一尺とあるが、庖丁は『書』に描いてあるものとは異なっている。 すぐに庖丁人が登場、襷掛けをし、庖丁と真魚箸を取り上げて古式に則り作法を進める。先ずは左側に置かれた半紙を全く手に触れずに切っていく。次に俎の鯉の頭と胴を切り離し、頭を大俎左隅に立てる。それから切り離された胴を次々に切り刻み、最後には小さな幣束を立てる。この間、約1時間。観る者は息をひそめて流れるような庖丁捌きを見つめており、全てがおわったとき拍手がわいた。
『四條流庖丁書』は庖丁人多治見貞賢が土岐氏のために書いたものとの仮説を立てている私は、この日の鳥帽子・直垂姿で見事な庖丁捌きを室町時代の土岐氏、あるいは足利将軍の眼で見ていたが、やはり日本料理の中心は〝切る〟ことにある、と痛感したのであった。
参考:ほしひかる「蕎麦談義」第11話、第26話、第31話、第43話、第72話、神田神社「庖丁式」、「四條流庖丁書」(『群書類従』第19輯)、「俎の歴史」 (『FOOD CULTURE』No.18)、報恩寺「俎板開き」、
〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる〕